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松田千秋・元海軍少将

artscene2014-08-06

アメリカ駐在中につけていた日記

 「戦艦大和」艦長などを務めた海軍軍人が昭和初期、アメリカ滞在中につけていた英文の日記が見つかった。当時すでに「仮想敵国」だった米国の武力を探る一方、その豊かな国力を肌で感じていたことが分かる。当時の軍人によるアメリカ滞在日記が公になることはほとんどなく、貴重な1次資料だ。


 日記をつけていたのは松田千秋・元海軍少将(1896〜1995年)。長男の孝行さん(81)が遺品の中から見つけ、孫で毎日映画社ディレクターの文治さん(44)が解読を進めていた。

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 当時、少佐だった松田は1929年、語学研修のため渡米し翌年、在米大使館付武官補佐官に就任、計2年間、主にワシントンに駐在した。見つかったのは29年6〜9月のもので、約120ページ。サンディエゴでは「飛行機に乗り街を見下ろした。約100隻の駆逐艦があり、20隻は稼働中だった」と記した後「標的」を意味するとみられる「gun targets」と書くなど、米軍艦に強い関心を示している。


 一方、アメリカは人も建物も大きく、食事に行っても食べきれないほどのものが出てくるなど、豊かさに驚く記述も目につく。アメリカ通の軍人が少ない中、実体験でアメリカの国情を感じていたようだ。戦後は「アメリカは資源の豊かさや生産性など、日本とは比較にならないと思った」と振り返ったという。



 松田少佐は第2次近衛文麿内閣の直属機関で、開戦前の41年4月にシタートした「総力戦研究所」の所員として研究生を指導。諸外国の国力や国際情勢を踏まえつつ戦争のシミュレーションを行った。その結果8月、「日米戦日本必敗」の結論を下し開戦後の42年、海軍のシンボル「戦艦大和」の2代目艦長に就任するなど第一線で戦った。


 日記の内容は14日午後9時、BS11の「報道ライブ21 INsideOUT」で放送される。ほかにも武官補佐官時代の記録など手つかずの資料が多いため、文治さんは専門家と協力して研究を進める。