Artscene 芸術の風景 -アートシーン 展覧会情報

芸術、美術、展覧会の紹介をしています。

平安期の瓦1500枚が見つかる

創建50年後の瓦と判明

Kyoto

http://www.byodoin.or.jp

http://www.byodoin.or.jp/hououdou_syuri/diary.cgi?date=20130214




 修理に伴う調査で残っていたことが判明した平安時代後期の瓦。背後は鳳凰堂の屋根(宇治市宇治・平等院

 平等院宇治市)は14日、修理中の鳳凰(ほうおう)堂(国宝)の屋根に1500枚を超す平安時代後期の瓦が残っていたと発表した。鳳凰堂の屋根の瓦の3%に当たり、うち当時では高品質な瓦が8割以上を占めていたという。


 調査した宇治市歴史まちづくり推進課によると、鳳凰堂の屋根には瓦が計5万2049枚使用されている。うち平瓦1553枚と半円筒形の丸瓦7枚について、凸面を縄でたたき締めた痕跡の特徴などから12世紀初めの瓦と判断した。


 平安後期の平瓦のうち、現在の大阪府八尾市にあった平等院荘園「玉櫛荘(たまくしのしょう)」の瓦窯で生産されたとみられる「河内系」が82%を占めた。河内系は手の込んだ高品質の瓦といわれる。残りは奈良で製作された「南都系」の瓦だった。


 同課は瓦の文様やこれまでの平等院発掘調査から瓦の製作年代を1100年初頭と推定。鳳凰堂建立は1053年のため、「50年後に行われた大修理の際に現在のような総瓦ぶきの屋根になった」とみている。鳳凰堂は当初、木製で軽量の「木瓦(こがわら)」で屋根がふかれていたとの見方もあり、同課の杉本宏主幹は「今回の調査で創建時は現在のような瓦屋根ではなかったことが分かった。創建時の実像解明の一歩になる」としている。

Kyoto


世界遺産平等院鳳凰(ほうおう)堂(京都府宇治市)に平安時代の瓦が1560枚残っていたと同府教委と平等院が14日発表した。瓦は形や文様から鳳凰堂が創建された1053年より新しいものがほとんどだとみられる。鳳凰堂の屋根は、当初は木の板などがふかれていたと考えられているが、創建から約50年後の修理で耐久性のある瓦にふきかえられた可能性が高まった。


 鳳凰堂は昨年秋から60年ぶりの大規模修理中だ。屋根から下ろした約5万2千枚を宇治市が調査し、平安期の瓦を特定した。大修理のたびに屋根がふき替えられてきた中で、「平安瓦」は繰り返し使われてきたと見られている。山岸常人・京都大大学院教授(建築史学)は「目立たない平瓦がこれだけ残されていたことは驚きだ」と指摘する。

 平安瓦のうち1273枚は、現在の大阪府八尾市にあった平等院の荘園近くの窯で、鳳凰堂の創建より30〜80年後に焼かれたものだった。10年ほど前に庭園を発掘した際も、この時期より古い瓦はわずかしか出土しなかった。鳳凰堂中堂の屋根は、柱が支える棟より3メートルほど突き出ているため、創建時は軒が下がらないよう、木の板を瓦代わりにふいた可能性が指摘されていた。


杉本宏・市文化財保護係長
 「今回の結果で、1101年の修理で屋根を総瓦ぶきにした可能性が強まった。末永く後世に残すために瓦にしたのだろう。平安時代の瓦の一部は製作時についた文様を丁寧に消すなどかなり凝った作りで、特注品だと考えられる」


Asahi