寄贈の戦争資料さまよう
5千点もの戦争資料が、東京都心の倉庫で眠ったままになっている。将来つくる平和祈念館のためにと、都が約15年前に市民から寄贈を募ったが、建設構想は頓挫。多くの提供者が、思い出の品を見ることも、見てもらうこともできぬまま、年齢を重ねている。
【写真】空襲で亡くなった母の遺品を寄贈した白根嘉代子さん=東京都渋谷区
港区白金台。
都庭園美術館の敷地を進むと、1933(昭和8)年に建てられた旧朝香宮(あさかのみや)邸がある。その裏手、2階建ての倉庫の中で、資料は桐(きり)の箱に仕分けられ、保存されているという。
「金庫で焼け残った目覚まし時計」「無事を喜ぶ手紙」「機銃掃射を受けた時に着ていた胴衣」
絵画や日記、軍の内部資料とみられる文書なども含め、計5040点に上る。
きっかけは平和祈念館の建設構想だった。都は戦時中の資料提供を広く呼びかけ、97〜00年度に281人から3492点の寄贈を受けた。さらに独自に1548点を購入した。
だが構想がつまずき、資料は行き場を失った。当初は墨田区の江戸東京博物館で保管していたが、06年度にいまの場所へ。都生活文化局文化事業課の松下裕子課長によると、倉庫内の温度や湿度を管理する専門設備はないが、学芸員が随時、点検しているという。