Artscene 芸術の風景 -アートシーン 展覧会情報

芸術、美術、展覧会の紹介をしています。

所蔵作品展 「MOMAT コレクション」MOMAT Collection

artscene2013-12-13

2013.10.22-2014.1.13


会場
東京国立近代美術館本館所蔵品ギャラリー(4F〜2F)
会期
2013年10月22日(火)〜2014年1月13日(月)
前期:10月22日(火) 〜12月1日(日)
後期:12月3日(火) 〜2014年1月13日(月・祝)
開館時間
10:00-17:00 (金曜日は10:00-20:00)
入館は閉館30分前まで


休館日
休館日:月曜日[ただし11月4日(祝)、12月23日(祝)、1月13日(祝)は開館]、11月5日(火)、12月24日(火)および年末年始[12月28日(土)-1月1日(水)]


観覧料
一般 420円(210円) 大学生130円(70円)

無料観覧日(所蔵作品展と「現代のプロダクトデザイン−Made in Japanを生む」展のみ)
11月3日(日・文化の日)、12月1日(日)、1月2日(木)、1月5日(日)



主催
東京国立近代美術館
概要


所蔵作品展「MOMATコレクション」(4-2F)のご案内
9室「写真・映像」*
9室「写真・映像」*
10室 「日本画」*
10室 「日本画」*
「眺めのよい部屋」*
「眺めのよい部屋」*
「MOMATコレクション」展は、日本画、洋画、版画、水彩・素描、写真など美術の各分野にわたる12,000点(うち重要文化財13点、寄託作品1点を含む)を越える充実した所蔵作品から、会期ごとに約200点をセレクトし、20世紀初頭から今日に至る約100年間の日本の近代美術のながれを海外作品も交えてご紹介する、国内最大規模のコレクション展示です。

ギャラリー内は、2012年のリニューアルによって、12の部屋が集合したスペースに生まれ変わりました。その1から12室までを番号順にすすむと1900年頃から現在に至る美術のながれをたどることができます。そして、そのいくつかは「ハイライト」、「日本画」という特別な部屋、あるいは特集展示のための部屋となって、視点を変えた展示を行っています。

「好きな部屋から見る」、「気になる特集だけ見る」あるいは「じっくり時間の流れを追って見る」など、それぞれの鑑賞プランに合わせてお楽しみください。


◆◆展示替:年間4〜5回程度大きく作品を入れ替えています(会期によっては、さらに日本画を中心とした一部展示替があります)。

★展示構成はこちらをご覧ください。 

このページ内の会場風景はすべて撮影時のものであり、現在の展示と同じとは限りません。


いずれもphoto: 木奥恵三


◆音声ガイドのご案内−コレクションをもっと身近に、もっと楽しく!
 所蔵作品展「MOMATコレクション」では、解説を聴きながら、所蔵品ギャラリーを巡ることができます。
 作品のいろいろな面が見えてくる、そんな発見がいっぱいの音声ガイドです。ぜひご利用ください。
■1F受付にて貸出・返却
■ご利用料金:300円

ここが見どころ

 特集

 「何かがおこってる:1907-1945の軌跡」
  (2-10室)

椎原治《「流氓ユダヤ」より 追はれる者B》1941年


 日露戦争後から太平洋戦争終結までの時代を考える、2フロアを用いた特集です。日本では日露戦争後、「大正デモクラシー」の名のもとで個人の自由が叫ばれると同時に、自国の勢力を他国に及ぼそうとする傾向が強まりました。つまり、個人の自由な自我の拡張と、国土の拡張とは、同時に進行したのです。関東大震災をはさみ、文化は成熟し、人々は豊かな暮らしを享受します。一方遠い中国では日中戦争が始まり、やがて太平洋戦争へと帰結します。特に、時代を語るたくさんの雑誌と、まとまった公開は初の「軍艦機献納画」の展示、さらに関東大震災からの復興ぶりを示す貴重な映画「復興帝都シンフォニー」の上映はお見逃しなく!
今会期に展示される重要文化財指定作品
原田直次郎《騎龍観音》1890年(寄託作品)
原田直次郎《騎龍観音》1890年(寄託作品)
岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年 
岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年 
中村彝《エロシェンコ氏の像》1920年
中村彝《エロシェンコ氏の像》1920年


今会期に展示される重要文化財指定作品は以下の通りです。

●原田直次郎《騎龍観音》1890年(寄託作品)
萬鉄五郎《裸体美人》 1912年
岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年 
●中村彝《エロシェンコ氏の像》1920年

当館ホームページ(美術館)内の重要文化財コーナーでは、所蔵する13点の重要文化財(1点は寄託作品)について、画像と簡単な解説をいつでもご覧いただけます。どうぞ重要文化財コーナーもご参照
ください。

予告なしに展示内容が変更になる場合もありますので、詳細は出品リストでご確認ください。
■前期・後期の作品の入れ替えについて
前期【10月22日(火) 〜12月1日(日)】のみに展示される作品
川合玉堂《彩雨(さいう)》1940年
横山大観《春風万里乃濤》1942年
横山大観《南溟の夜》1944年
後期【12月3日(火) 〜2014年1月13日(月・祝)】のみに展示される作品
川合玉堂《朝もや》1938年
榎本千花俊《銀嶺》1942年
横山大観《満ち来る朝潮》1943年
横山大観《八紘に耀く》1944年 寄託作品


展覧会構成

「MOMATコレクション」では12(不定期で13)の展示室と2つの休憩スペースが3つのフロアに展開し、2Fテラス付近や前庭にも屋外彫刻展示を行っています。下記マップの水色のゾーンが「MOMATコレクション」です。4Fには休憩スペース「眺めのよい部屋」を併設しています。


所蔵作品展「MOMATコレクション」の会場入口は4Fです。1Fエントランスホールからエレベーターもしくは階段をご利用のうえ、4Fまでお上がりください。
4F


1室 ハイライト
2-5室 1900s−1940s 明治の終わりから昭和のはじめまで
「眺めのよい部屋」
美術館の最上階に位置する休憩スペースには、椅子デザインの名品にかぞえられるベルトイア・チェアを設置しています。明るい窓辺で、ぜひゆったりとおくつろぎください。大きな窓からは、皇居の緑や丸の内のビル群のパノラマ・ビューをお楽しみいただけます。


「情報コーナー」
MOMATの刊行物や所蔵作品検索システムをご利用いただけます。


1. ハイライト
 3,000m²に200点以上が並ぶ――この贅沢さがMOMATコレクションの自慢です。しかし近年、お客さまから、「たくさんあり過ぎてどれを見ればいいのかわからない!」「短時間で有名な作品だけさっと見たい!」という声をいただくことが増えました。そこで、昨年夏に行なった所蔵品ギャラリーのリニューアルを機に、重要文化財を中心にコレクションの精華を凝縮してお楽しみいただける、「ハイライト」のコーナーを設けました。壁は作品を美しく際立たせる濃紺、床はガラスケースの映り込みをなくし、作品だけに集中していただけるよう、艶消しの黒を選んでいます。
 今回は、昨年、三笠宮崇仁親王殿下より寄贈を受けた平福百穂の《丹鶴青瀾》を初めてご紹介します。大正天皇御大婚25周年を奉祝し、衆議院から献上された作品で、となりに並べた《荒磯》より半年ほど制作年がさかのぼります。油彩では、原田直次郎、萬鉄五郎岸田劉生、中村彝の重要文化財が勢ぞろい。海外作家も「ハイライト」の名前にふさわしいラインナップです。

平福百穂《荒磯(ありそ)》1926年


2. 坂の上の雲

 日清戦争(1894–95年)、日露戦争(1904–05年)の勝利によって、日本は列国との不平等条約を改正し、真の独立国としての地位を獲得します。東アジアの新秩序の担い手を自任し、「世界の中の日本」という意識が芽生え始めるのもこの頃のことです。司馬遼太郎が『坂の上の雲』で描きだしたように、明治維新以来追い求めてきた近代日本の国家像がひとつの完成を見たのです。それはまた、当時の国際関係の中で日本が「帝国」としての一歩を踏み出したことを意味します。日露戦争の結果、日本は1910(明治43)年に韓国を併合し、大陸進出への足がかりを得たのです。
 文部省主催の美術展覧会(文展)が始まったのは、日露戦争直後の1907(明治40)年のこと。第1回文展出品作の中には和田三造の《南風》のように、英雄的な男性像によって時代の気運を捉えたものも含まれていました。しかし、その一方で戦争遂行の負担を強いられてきた民衆の政府に対する不満が爆発。世間の関心の比重は次第に「国家」から「個人」に移りつつありました。



3. わたしと太陽 
萬鉄五郎《太陽の麦畑》1913年頃
 「僕は芸術界の絶対の自由(フライハイト)を求めている。従って、芸術家の PERSOENLICHKEIT(人格)に無限の権威を認めようとするのである。[…]人が『緑色の太陽』を画いても僕はこれを非なりと言わないつもりである」。1910(明治43)年に高村光太郎が発表したエッセイ、「緑色の太陽」の中の一文です。外界の自然の姿すら変えることが可能な、芸術家のものの見方、感じ方の絶対の自由をうたう、大正デモクラシーの幕開けを告げる文章です。さて、赤いはずの太陽が補色の緑で描かれる―このたとえの背後には、オレンジと青の二つの補色で太陽を描くヴァン・ゴッホの作品のイメージがあったはずです。同じ1910年に発刊された雑誌『白樺』には、ゴッホの複製図版が多数紹介されました。輝くような色彩(図版の多くはモノクロでしたが)、息せき切った作画のスピード感を示す絵具の厚塗り、そして周囲に理解されない悲劇の生涯―ゴッホはたちまちのうちに、若い芸術家たちの拡張を求めて止まない「わたし=自我」を照らし出す、心の「太陽」となったのです。 



4. ふるさと創生

 1927(昭和2)年、「昭和の新時代を代表すべき新しい日本の勝景」を選定するという号令のもと、大阪毎日新聞東京日日新聞、及び鉄道省が共同で、日本新八景を選出するためのはがき投票のキャンペーンを新聞紙上で行いました。これは人々の熱狂的な郷土愛を煽り、投票総数は、当時の人口の1.5倍を超える約9,342万通にも上りました。日本新八景の審査基準には、「規模の大なること」「四季各々特色の在ること」などのほかに、交通が便利であることや施設の有無といった、観光資源としての潜在力が挙げられていました。こうした条件設定の背景には、鉄道網の整備や、生活にゆとりのある中間層が余暇に旅行するようになっていたことがあります。民俗学のフィールドワークとして、全国各地を巡っていた柳田國男の言葉を借りれば、近代という「新文化」の発展によって、「旅」は「其日暮らし」のつらいものから、「楽しみの為」の「旅行」へと変化していったのです。このなかで、自然は風景として整備され、人々の経済活動に徐々に組み込まれていきました。日本の原風景は、もとよりそこにあったのではなく、近代化によって創造されたのです。


5. 地震のあとで
長谷川利行《カフェ・パウリスタ》1928年
長谷川利行《カフェ・パウリスタ》1928年
 1923(大正12)年9月1日、マグニチュード7.9の巨大地震が関東地方を襲います。揺れによる建物の倒壊よりも火災の被害の方がはるかに大きく、地震直後に発生した火災はまたたくまに東京の中心部を焼き尽くしました。首都を壊滅させた震災は、ヨーロッパを荒廃させた第一次世界大戦に比較しうる衝撃を日本にもたらします。すなわち近代文明を問い直し、既存の社会を変革する動きが、「改造」という時代の掛け声とともに広く浸透するきっかけとなったのです。1920年代に登場した村山知義柳瀬正夢といった急進的な前衛芸術家は、まもなく社会主義思想に共鳴してプロレタリア芸術運動を主導しました。震災によって江戸の名残が一掃された東京は、復興の過程でさらなる近代化を推し進め、華やかな消費文化の舞台となっていきます。機械の力とスピード、文化の新たな担い手となった躍動する女性像、都市の下層から聞こえる労働者の唄。これらが混然一体となって「大衆」を主体とする生活文化が伸長を始めるのです。
3F


6−8室 1940年代−1960年代 昭和のはじめから中ごろまで
9室 写真・映像
10室 日本画
建物を思う部屋


6. 白日夢

 光と影が交錯する1930年代をひとつの像で描き出すことは困難です。たしかに1920年代との比較において、軍国主義の台頭を強調することは可能でしょう。1931(昭和6)年に満州事変が勃発し、五・一五事件(1932年)、二・二六事件(1936年)など軍部のクーデターが続き、1937(昭和12)年の盧溝橋事件によって日中戦争に突入したわけですから。社会主義者の徹底的な弾圧も行われました。しかしながら、人々の日常すべてが戦時体制に染まったわけではありません。先端的なファッションに身を包んだ「モボ・モガ」が見慣れたものとなり、ジャズやレビューや映画が流行し、湘南や須磨の海岸は海水浴客で賑わい、雑誌メディアの隆盛とともに大衆文化が開花したのも30年代のことなのです。世界恐慌が日本に波及して深刻な不況に見舞われても、20年代に端を発する大衆社会の欲望は衰える気配をみせません。このような日常生活への埋没が、大陸で繰り広げられている戦争を想像する力を鈍化させ、いつしか国土・国力の拡張政策を支えていたのかもしれません。


7. 遠くで銃声

 三崎亜紀の『となり町戦争』(2005年)という小説があります。自分の町ととなり町が戦争状態に入ったと報じられる。しかし日常は平穏そのもの。ただ広報誌掲載の戦死者数だけがどんどん増えて行く―という筋書きです。

 1937(昭和12)年7月、日中戦争が始まりました。一方でこの夏には、「別れのブルース」「アマポーラ」(淡谷のり子)、「アロハオエ」(灰田勝彦)といったヒット曲がリリースされています。3年後の1940(昭和15)年には、東京オリンピックの開催も予定されていました(1938年、日中戦争のため中止が決定され、幻のオリンピックとなりました)。見えないところで統制が進み、近所の誰かれが出征する。しかし日々の暮らしは穏やかに続き、遠くの戦争の実感はなかなか得られない。当時を生きた多くの人々が、もしかしたらこんな風に感じていたかも知れません。この部屋では、北脇昇、安井仲治、椎原治、小磯良平など、それぞれのやり方で、身近な日常と遠くの戦争とが絡み合うさまを示した作品をご紹介します。


左から:北脇昇《オブジェ》1937年頃、北脇昇《空港》1937年



8. 頭上の火の粉

 1941(昭和16)年12月8日、日本軍の真珠湾攻撃をもって太平洋戦争が始まりました。「白日夢」の中でまどろみながら、「遠くの銃声」を予兆のように聞いていた人々は、いよいよ戦争の現実に直面することになったのです。美術家もまた陸海軍の委嘱を受け、「戦争画」(当時「作戦記録画」の名で呼ばれました)を描くという課題に取り組みます。勝利が続く戦争初期には、御厨純一《ニューギニア沖東方敵機動部隊強襲》(1942年)のように、遠くから戦闘を眺めるような作品も目につきます。やがて戦況が悪化すると、藤田嗣治アッツ島玉砕》(1943年)や《サイパン島同胞臣節を全うす》(1945年)のように、本来画家が見るはずのない至近距離から人々の悲劇に肉薄する構図が生まれます。戦争末期には本土空襲が激化し、遠くの戦争は人々の頭上に直接火の粉が降りかかるところまで迫りました。鈴木誠《皇土防衛の軍民防空陣》(1945年)は、空襲下の女性と子どもを描く、比較的めずらしい作品です。女性雑誌の中の女性や子どもたちの姿と見比べてみて下さい。

 
9.復興帝都シンフォニー

 関東大震災から6年が経過した1929(昭和4)年に、この記録映画は撮影されました。製作は東京市政調査会東京市政調査会は、東京市長であった後藤新平の肝いりで1922(大正10)年に創立された都市行政のための調査研究機関です。関東大震災の前年のことでした。そして震災からの復興計画の策定と復興事業の推進に指導的役割を果たしたのが、当時内務大臣を務めていた後藤だったのです。
後藤はこの大災害を「理想的帝都建設の為真に絶好の機会」だと捉え、帝都復興院の総裁として辣腕をふるいました。フィルムには、道幅を拡充して舗装された道路や、隅田川に新設された耐震耐火の橋が映り、復興計画によって改善された都市機能が強調されています。その一方で、建設中の震災記念堂や、仮納骨堂で手を合わせる人の姿が挿入され、災害の傷が完全に癒えたわけではないことも示唆されます。人気のない早朝のシーンから、テンポの良いモンタージュで都市の生動感を表現していく手法には、「伯林:大都会交響楽」(1927年)からの影響が指摘されています。


10. 「誰か故郷を想わざる」

 石原裕次郎も、氷川きよしもカバーした「誰か故郷を想わざる」は、もともと霧島昇が歌い、1940(昭和15)年にリリースされた歌謡曲でした。作詞は西條八十、作曲は古賀政男。この曲は、戦地にある兵士たちの間で人気に火がつき、国内でも大ヒットを飛ばしました。
 1920年代から40年代にかけての日本画を振り返ると、若手を中心に、モダニズムから抽象表現へと至る西洋の新しい表現が実践される一方で、実に多くの画家たちが、日本の美しい自然を描き出していたことに気付きます。富士山、海、農村、桜や菊の咲く温雅な風土……。それらは、霧島の歌った「幼馴染のあの山この川、あゝ誰か故郷を想わざる」という歌詞にぴったりとはまるように見えて、その実は、国民全体の故郷たる国土の象徴として描かれ、国体を美化するはたらきを担ったものでした。
 そもそも、霧島の歌は哀調たっぷりで、士気を下げるからと戦争終盤には禁止されたともいいます。むしろこの歌には、小野竹喬が戦後、故郷に近い瀬戸内を描いた《雨の海》などの方が、しんみりと通じ合うようにも思えます。
2F



11–12室


11. 虚実いりまじる世界
―1960–70年代の写真表現から
森山大道《にっぽん劇場》1968年 (1974 print) 
森山大道《にっぽん劇場》1968年 (1974 print) 
 「ジョセフ・クーデルカ展」(11月6日—2014年1月13日)にあわせ、当館のコレクションより、1960年代から70年代初頭の日本の写真家たちの作品を紹介します。
 森山大道の「にっぽん劇場」は、地方廻りの芝居や演歌歌手など、大衆芸能をモティーフとした写真を中心に、ストリートスナップや、シリーズの最後におかれた胎児の写真など、同時期に撮影されたさまざまなイメージから構成された作品です。さらに、頻出するポスターや映画のスチル写真といった既存のイメージの複写が、虚構と現実が等価にいりまじる、森山独特の「劇場」の世界を演出しています。
 写真が目の前の現実を映しだすだけでなく、さまざまなかたちで虚構の世界をとりこみ、それによって重層的な作品世界をつくりあげることができる。そうした意識が、この時代の写真家たちのとりくみを通じて浮かびあがってきます。


12. 1980s- 写真・中欧・人間


 1階で開催される、チェコスロヴァキア(当時)生まれの写真家ジョセフ・クーデルカの展覧会にあわせて、海外の写真作品、中欧出身のアーティストの作品、「今」を生きる人間を捉えた作品を中心に集めてみました。 写真としては、デュッセルドルフ芸術アカデミーで教えたベルント&ヒラ・ベッヒャーと、そこで学んだアンドレアス・グルスキー、トーマス・シュトゥルート、トーマス・ルフの作品を展示しています。客観的なアプローチを特徴とする彼らとは対照的に、主観性をより重視しているミヒャエル・シュミットやヴォルフガング・ティルマンスの作品も紹介しています。


 ポーランド出身のマグダレーナ・アバカノヴィッチによる胸像や、ヤン・ペイミンによる大きな顔からは、いまなお戦争のような極限的な状況がどこかで続いていることや、その中で人が生き続けていくことの意味について、考えさせられることでしょう。



イベント情報
MOMATガイドスタッフによる所蔵品ガイド
休館日を除く毎日
日程: 2013年10月22日(火)〜2014年1月13日(月)
(11月16日(土)、12月7日(土)は13:00から行います。)

時間: 14:00-15:00
場所: 所蔵品ギャラリー(1Fエントランス集合)

所蔵品ギャラリーでは毎日、作品解説が行われています。
当館のボランティア「MOMATガイドスタッフ」が、参加者のみなさまと会場をまわり、数点の作品を一緒に鑑賞しながら、作品についての理解を深められるようにお手伝いします。
作品とテーマは、ガイド前に1階エントランスに掲示されます。
約40名のガイドスタッフそれぞれ、作品とテーマが異なりますので、何度参加されてもお楽しみいただけます。



「MOMATガイドスタッフ」のページもあわせてご覧ください。「ある日の所蔵品ガイド」の様子を写真付きで詳しく紹介。

会期最初の土曜日は研究員による所蔵品ガイド

日程: 2013年10月26日(土)
時間: 14:00-15:00


MOMATガイドスタッフによるハイライト・ツアー
毎月第1日曜日(無料観覧日)
日程:
2013年11月3日(日)
2013年12月1日(日)
2014年1月5日(日)

時間: 11:00-12:00
場所: 4階エレベーター前集合

近代日本の美術の流れをたどりつつ、所蔵作品展「MOMATコレクション」の見どころを押さえたい方に。MOMATガイドスタッフが、参加者の皆様とともに4階から2階までをまわり、代表的な所蔵作品を、やさしく解説します。


キュレーター・トーク
松本透(副館長)
「現代美術と写真」
日程: 2013年12月6日(金)
時間: 18:00-19:00


中林和雄(企画課長)
(テーマ未定)
日程: 2013年12月13日(金)
時間: 18:00-19:00
いずれも参加無料(要観覧券)/申込不要