Artscene 芸術の風景 -アートシーン 展覧会情報

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ギネス世界記録保持者

artscene2012-10-09



Photo by Aaron Wong



石川県金沢市(野々市町)に生まれる。3歳より水泳を始め、石川県はもとより西日本の背泳の数々の記録を塗り替える。
背泳ぎで県内や西日本地区の記録を塗り替えた。県立金沢泉丘高在学中にカナダに1年間交換留学。フランス語習得のためだった。


高校卒業後ドキュメンタリー作家を目指し、アメリカ、キューバで映像、スペイン語を勉強する。



2003年初めてスキューバダイビングにホンジュラスで出会い それからは海一筋の人生。スキューバでのビデオグラファーを3年間行い、2007年タイでフリーダイビングに出会う。それか らはフリーダイビングでの水中映像家として活動をつづけている。


2009年末にはメキシコのセノーテアスールにて記録アテンプ トを主催し、コンスタント ウェイト ウィズアウト フィンでアジア記録を樹立し、メキシコキンタナロー州知事、石川県野々市町知事より表彰。


2011年頭にメキシコのセノーテチキンハにてギネス世界記録を樹立する。洞窟の中を一息で一番長く泳ぐという種目でフィン有り、フィンなしと2つの記録樹立。フィンなしは世界初の快挙、フィンなしは世界女性初の快挙。


【習い事】 水泳、体操、ピアノ、フルート、習字、絵、生け花、茶道−。習い事はたくさんした。特に水泳は練習が毎日で、泣きながらしていた記憶も。でも結局、好きだった水泳は続いた。泳ぐことは私にとって自然の一つ。


【言語】 「英語以外の言葉も話したい」と、高2で1年間カナダ・ケベック州へ。現地の高校に通い、フランス語も習得。キューバではスペイン語も話せるようになった。生きていくために必要だったら、人間って学べる。


フリーダイビング水中映像家。1980年、2003年にスキューバダイビングを始めた。06年にフリーダイビングに転向し、09年には当時の日本記録を更新した。



水中表現家、ギネス世界記録保持者

継ぎなしで90メートル走ることを想像してみてください。つらそうだけれど、できそうな気がしますね。水中だったらどうでしょう。そんなことができるのは、魚か、人魚か、二木あいだけです。二木は2011年にメキシコの洞窟の中をフリーダイビング(素潜り)で最も長い距離を泳ぐ記録にフィン無しで挑戦し、世界初のギネス記録に登録されました。同じく100メートルの距離をフィン有りで泳ぐ記録にも挑戦し、こちらは女性初のギネス記録を打ち立てました。彼女は3歳のときから水の虜でした。カリフォルニアとキューバに渡り、映画やドキュメンタリーを撮影する技術とスペイン語を学んだ後、4年間、スキューバダイブのビデオグラファーや洞窟ダイビングのガイドとして世界中を巡り、ひと呼吸の空気だけで潜るフリーダイビング(素潜り)と出会いました。そして、フリーダイビング(素潜り)によるパフォーマンス、モデル、撮影を行う、世界でも数少ない水中アーティストの1人となり、海の素晴らしさを伝えるために活動しています。彼女のフィルムは、テレビやイベント、水族館の展覧会でも取り上げられ、彼女をモデルとした写真は、水中写真家アーロン・ウォンが撮影した写真集『WATER.COLOR』をはじめ、いくつもの雑誌や本ページを飾っています。

 ビデオカメラを片手に、海中を魚のように自由自在に泳ぐ。出身地の石川を飛び出し、さまざまな国で活動する二木あい(30)は、世界でも珍しいフリーダイビング水中映像家だ。「きれいな海を多くの人に見てほしい」との思いを胸に、挑み続ける彼女の信念は「行動が大切。そこから世界は広がる」。

一回きりの人生 行動力が大切
−世界を舞台に活躍


 メキシコ、ギリシャ、タイ、マレーシア、フィリピン、インドネシア、オーストラリア…。世界中の海に潜り、ビデオで水中の映像を撮っている。パスポートにスタンプを押すページがなくなるぐらい、たくさんの国を訪れた。


 (呼吸を助ける)器材は使わず、ウエットスーツと水中マスクだけで飛び込む「フリーダイビング」。器材を使わないから、水中にいられるのは2分半ほど。でも呼吸するたびに出る音、泡がないから、魚たちが逃げない。自然に、自由に“彼ら”の世界に近づくことで、より水中の魅力が伝わる。こんな手法で映像を撮るのは世界的にも珍しい。


 一昨年、競技としてのフリーダイビングにも挑んだ。息を肺に詰め込んだり、逆に肺に空気がない状態で潜ったりする過酷なトレーニングを重ねた。初めての記録会でノーフィン(足ひれなし)で水深45メートル地点まで潜って上がり、当時の日本記録を更新した。

−“日本らしさ”への反発

 海外に出たのは、地元(石川県野々市町)の中学校に入った瞬間、日本の画一的で自由のない雰囲気が全く肌に合わないと感じたから。女の子同士かたまって行動したり、目立つ子がいると一斉に攻撃したり。そういうのが面倒くさかった。

 高2でカナダに留学すると、皆が自分の考えを持って行動する姿に「海外がやっぱり合う」と感じた。日本では何をしたいか分からないけど、自分の能力に見合う大学に行く人ばかりで、嫌だった。

−挫折、そして再出発

 仕事で「何かを伝えたい」との思いがあり、海外でお金を稼いで生きていける道との両立を考えて、高校卒業後にドキュメンタリー作家を目指してキューバと米国に渡った。

 でも、現地で日本の撮影クルーと行動を共にすると、長時間滞在するわけでもなく、絵を撮るだけのインタビューや撮影ばかり。「これってドキュメンタリーじゃない」と、思い描いていた姿とギャップがあると実感した。理想を求めたら自分のお金でやらなきゃならないが、生活していかなくてはならない。そんな現実を背負いながら、アートなものは作れないと限界を感じた。

 結局、志半ばで実家に戻った。何もかも嫌で、考えることすら放棄し、家で絵を描いたりする作業に没頭した。でも、1カ月もすると何かやらなくちゃと思い「スキューバダイビングをやってみようかな」と。格安だった中米ホンジュラスの学校に申し込んだ。

−挑戦の軌跡

 最初に海に入った瞬間「あ、私の居場所はここだ」って感じた。スキューバのライセンスを取り、観光客の水中写真、映像の撮影を始めた。慣れてもの足りなくなったころ、フリーダイビングの魅力にはまった。

 この1月には、いつもと逆の“撮られる立場”になり、メキシコ・ユカタン半島にあるセノーテと呼ばれる水中洞窟内を「呼吸器や足ひれを付けずに一息で泳ぐ」というギネス記録に挑んだ。光がカーテンのように揺らめく洞窟内を器材を一切着けない人間が泳ぐ−。この神秘的な映像を多くの人に見てもらい、水の大切さを感じてもらえたらと、挑戦した。

 私は、やりたいことをどんどんやっていく性格。やらずに後悔するのは嫌なので。その中でフリーダイビングにも出会った。人生は一回きり。とことんやりたい。