歴史館で始まる企画展 「新選組 京を駆ける」
幕末期に会津藩とともに尊王攘夷派として京都を警護し、薩長土肥と戦った「新選組」の隊士で、剣客として知られる斎藤一(さいとう・はじめ、1844−1915)の名が、明治時代初期の警視庁の名簿から見つかった。斎藤は何度も改名しており、明治維新後は「藤田五郎」として警察官になっている。新選組時代の斉藤の名前が記された警察資料は極めて珍しいという。
霊山歴史館が、当時警視庁に勤めていた関係者の子孫が保有しているものを知った。名簿(縦24cm、横16cm)は二つ折りの紙11枚を冊子状にしたもので、警視庁第六方面第二署(現在の小松川署)の署員174人の名前が階級別に毛筆で記されている。斎藤の名前は名簿最後の「等外一等出仕」の階級にあり、「書記兼戸口取調掛(とりしらべがかり)」という役職名もあった。
新選組の三番隊組長として活躍した斉藤は、無口で目付きが鋭く、隊でも屈指の剣客として知られた。戊辰戦争では会津藩の指揮下に入って新政府軍と戦い、その後、維新政府の警視庁に採用され西南戦争に従軍、薩摩藩と戦った。
歴史館が警視庁に照会し、署長の在職期間から名簿は1875−76年のものとみられ、斎藤が警視庁にいたとされる時期とほぼ一致。歴史館の副館長、木村幸比古によると、住宅や住民の数を調べる目的の役職と推定され、新選組時代の活動も考えるとスパイ活動を担当していたのではないかと思われるという。新選組時代の「斎藤一」と記載されている理由については、スパイの職務上、実際に警察署に勤めたわけではなく身分だけ置いていた可能性がある。藤田五郎の名になる前の昔の名前を用いて、存在をわかりにくくしたのではないかと推測されている。
この名簿は
2014年7月23日−9月7日
歴史館で始まる企画展「新選組 京を駆ける」
にて展示予定。 大人:700 yen など
Asahi
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11259383.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11259383