Artscene 芸術の風景 -アートシーン 展覧会情報

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フランシス・ベーコン展

artscene2013-03-27



レインコートを着たフランシス・ベーコン

1967年頃撮影

Photo:ジョン・ディーキン


2013年3月8日(金)‒ 5月26日(日)



東京国立近代美術館


〒102-8322

東京都千代田区北の丸公園3-1
東京メトロ東西線竹橋駅」 1b出口 徒歩3分


開催時間 午前10時 ‒ 午後5時(金曜日は午後8時まで)
入館は閉館の30分前まで
休館日 月曜日(ただし3/25、4/1、4/8、4/29、5/6は開館)、5/7


主 催 東京国立近代美術館日本経済新聞社
後 援 ブリティッシュ・カウンシル、アイルランド大使館


協 賛 新日本有限責任監査法人、損保ジャパン、大伸社、トヨタ自動車、UBSグループ
協 力 日本貨物航空日本航空フランシス・ベーコンエステー


お問い合わせ ハローダイヤル 03-5777-8600


巡回スケジュール 豊田市美術館 
2013年6月8日(土)‒ 9月1日(日)
作品の展示替え、東京展からの内容の変更はございません。




アイルランドのダブリンに生まれたフランシス・ベーコン(1909‒1992)は、ロンドンを拠点にして世界的に活躍した画家です。その人生が20世紀とほぼ重なるベーコンは、ピカソと並んで、20世紀を代表する画家と評されており、生誕100年となる2008年から2009年には、テート・ブリテン(英国)、プラド美術館(スペイン)、メトロポリタン美術館アメリカ)という世界でも主要な美術館を回顧展が巡回しました。

主要作品の多くが美術館に収蔵されており、個人蔵の作品はオークションで非常に高値をつけているため、ベーコンは、展覧会を開催するのが最も難しいアーティストのひとりだと言われています。そうしたこともあってか、日本では、生前の1983年に東京国立近代美術館をはじめとする3館で回顧展が開催されて以来、30年間にわたり個展が開催されてきませんでした。

今回、没後20年となる時期に開催する本展は、ベーコンの「世界」を、代表作、大作を多く含むベーコン作品30数点により紹介するものです。そのうち、ベーコンを象徴する作品のフォーマットである三幅対(トリプティック)も多数含まれているので、実際にはもっと多く感じられることでしょう。

企画内容は完全に日本オリジナルで、単なる回顧展ではなく、ベーコンにとって最も重要だった「身体」に着目し、その表現方法の変遷を3章構成でたどろうとするテーマ展でもあります。また、ベーコンが「同時代」のアーティストに与えた影響を確認しようとするパートも、エピローグとして用意しています。このように、日本はもとよりアジアでも没後初となるこのベーコン展は、さまざまな意味で画期的だと言えるでしょう。その趣旨に賛同する形で、日本に所蔵が確認されている5点はもちろん、テート、ニューヨーク近代美術館、ハーシュホン美術館(ワシントン)、ヴィクトリア国立美術館(オーストラリア)、ヤゲオ・ファウンデーション(台湾)など世界各地の重要なコレクションから作品が日本にやってきます。

世界では様々な美術館が展覧会をなんとか実現させているにもかかわらず、日本国内では30年間にわたり個展が開催されてこなかった画家。今なおジャンルを問わず多くのアーティストたちを刺激し続けている画家。そんなフランシス・ベーコンの魅力をひとりでも多くの皆様に紹介することは、大変意義あることと確信いたします。

ロンドンはサウス・ケンジントンにあったこのアトリエを、ベーコンは、1961年から亡くなる1992年まで使い続けました。狭く、カオスとも評されるほど散らかっていたこのアトリエは、ベーコンの没後、彼が生まれた地であるダブリンに移設されることが決定し、現在は、同地のヒューレーン美術館で公開されています。その際、床などに積み上げられていたものを克明に記録し、完璧に再現するべく、考古学の研究者を含むチームが編成されたと言います。




ベーコンは、自らのデビューを、第二次世界大戦が終わる直前の1944年頃に定めています。アイルランドで独立を目指す戦争を見、英国でふたつの世界大戦を体験したベーコンにとって、人間の存在や権威は、とてもはかないもの、移りゆくものと見えていたようです。 そこで、「導入部」である第1章では、40年代後半の「叫び」を主題とした作品から出発します。そして亡霊のような身体を経て、ファン・ゴッホを導き手としながら色彩や物質感を回復するまでの時期の作品、つまり50年代後半までの作品に焦点をあてたいと思います。神の代理ともされる教皇が弱々しい人間のように叫ぶ姿を描いた作品や、人間と動物、男と女、あるいは神と人間の中間的存在とされるスフィンクスを描いた作品などを通して、ベーコン作品のエッセンスをつかんでいただきます。

生前のベーコンが事実上のデビュー作と認めていたのは、1944年の三幅対(テート蔵、不出品)です。それと同じように、本作にも、鮮やかなオレンジ色を背景にして、動物とも人間ともつかない、ピカソ的な「生き物」が描かれています。不穏な雰囲気を強調する傘が、右下の草の形と呼応しているのも見逃せません。ベーコンは40年代の作品のほとんどを破棄しており、現存している数は20点に満たないとされています。

ベーコンは、ベラスケスの《インノケンティウス10世の肖像》に基づく作品を、1950年に描き始めました。その多くは全身を描いていますが、本作でベーコンは、頭部と「叫び」に焦点をあてています。玉座の一部のように見える鮮やかな黄色の線に比べて、身体はまるで亡霊のようです。鼻にかかる割れた眼鏡というモチーフからは、エイゼンシュテインの映画《戦艦ポチョムキン》の有名なワンシーン、オデッサの階段で叫ぶ乳母を参照していることがわかります。

8点から成るシリーズ「肖像のための習作」のひとつ。最初は、友人である美術批評家のデイヴィッド・シルヴェスターをモデルに描き始めた作品でしたが、人物はそのうち教皇へと変わりまし た。頭の後ろの黄色い四角い枠は玉座の一部のようですが、額縁にも見えます。シリーズの中で唯一描きこまれている下半身も、実体感はほとんどありません。自らの手で顔を掻き消そうとしているかのようなポーズによって、静謐な空間に緊張感が生まれています。

1950年代前半、暗い背景に亡霊のような身体を描き続けていたベーコンは、1956年の春から翌年にかけて、ファン・ゴッホの《タラスコンへと向かう途上の画家》(第二次世界大戦で消失)を参照したシリーズを描き、色彩や絵具の存在感を回復させます。ベーコンにとって、「本当の画家は、自分自身が物事に対して感じているところのものを描くのだ」というファン・ゴッホの言葉は、目指すべき芸術を考える上できわめて重要でした。

1950年か51年のこと、ベーコンはカイロを訪れました。彼は、エジプトの美術は、「人間がこれまで到達しえた眼に見える表現のうち、もっともすぐれた形」をしていると言っています。ここでは、おそらくは六角形に象られた結界の中にスフィンクスが坐しています。体は透けていますが、鮮烈な赤の色に囲まれていることもあって、逆に不思議なエネルギー感が感じられてきます。本展には本作を含めて4点の「スフィンクス」が展示されます。




ベーコン作品は、1960年前後に転換期を迎えます。ソファやベッドなど、きわめて日常生活的なセッティングの中に、身体が描かれるようになるのです。 そこで、「展開部」となる第2章では、1960年代の作品に焦点をあてたいと思います。50年代までの身体が移りゆくものであったのに対して、60年代の身体は、存在感を回復しています。しかしそのポーズはちょっとおかしく、まるで観る者に対して投げ出されるか のようにして、ソファやベッドの上に座ったり横たわったりしているのです。そのあり方は、舞台的とも犠牲的とも言えるでしょう。 ここでは、マイブリッジの連続写真が示した人間の「本当」の動きに基づく作品や、ベーコン自ら写真家に依頼した友人の写真に基づく作品などをご紹介します。




この作品に見られるような、同じ顔を、構図を変えて複数の画面に描く手法は、証明写真のフォーマットに着想源があるようです。ここに描かれているのはベーコンの恋人だった人物。ふたりは1963年の秋に出会い、やがて付き合うようになります。しかし諍いは絶えず、1971年、ダイアは、パリでベーコンの大回顧展がオープンするその日にホテルで自殺します。粗野で無教養と評されるダイアですが、ここでは、ピンクを背景にエレガントに描かれています。

自身が同性愛者だったからかどうかはわかりませんが、ベーコンが描く人物のほとんどは男性でした。1965年頃に集中して知人の女性を描きますが、本作は、1960年にしては珍しく女性で、しかも裸体です。見ると、ソファからはみ出た足が他の部分に比べるとあっさりと描かれている一方で、頭部では、歯列のみがくっきりと描かれています。見る対象として絵の中で「形」と化していくことへの反抗の叫びが聞こえてくるかのようです。




1970年代以降、ベーコンの作品は複雑化します。ひとつの画面の中に複数の人物が描きこまれたり、ひとりの人物であっても、鏡や扉などの装置が描きこまれたりするのです。そこで、「結論部」である第3章では、1970年代以降、ベーコンが没するまでの作品に焦点をあてたいと思います。この時期の作品における身体は、複雑化した状況に置かれながらも、明確な意味を観る者に伝えてくることはありません。矛盾があったり、因果関係や前後関係がはっきりしなかったりで、むしろ、明確に物語ることからその身を少しずつ逃れさせようとしているようにも見えるのです。
彫刻への関心がうかがえるピンクの三幅対(1970)や、最後の三幅対(1991)など、三幅対を中心に構成されたこの章で、本展はクライマックスを迎えます。 




ベーコンによる最後の三幅対です。黒の矩形は、80歳を超えていたベーコンが死期を感じていたことを思わせます。右のパネルの顔はベーコン自身、左は、写真から取られた、ブラジルのレーシングドライバー、セナとされています。三幅対はキリスト教絵画でしばしば用いられるフォーマットで、とりわけ中央のパネルは重要です。しかしこの作品でそこに描かれているのは、誰のものでもない(ゆえに誰のものでもありえる)「肉」の塊です。




これまで見てきたように、ベーコンの描く身体は、つねに空間や時間(物語)との間の緊張関係にありました。とすれば当然、その作品は、ダンサーたちにとって魅力的であり続けてきました。ここでは、ドイツのアーティストのペーター・ヴェルツが、同じくドイツを代表する振付家であるウィリアム・フォーサイスとともにつくった作品をご紹介します。アトリエに残されていたベーコンの絶筆をベースにして、フォーサイス自ら振付けて踊った映像をもとに、ヴェルツが制作した映像インスタレーションです。ルーヴル美術館で展示されたこともある本作が日本で紹介されるのは初めてのことになります。
あわせて、ベーコンとほぼ同時代に、そのエッセンスを鋭く捉えて吸収していた日本のダンス、土方巽の「舞踏(Butoh)」も映像でご紹介する予定です。