Artscene 芸術の風景 -アートシーン 展覧会情報

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「飛騨の円空―千光寺とその周辺の足跡―」

artscene2012-11-21


東京国立博物館140周年 特別展


Tokyo National Museum(Ueno)

上野 東京国立博物館 本館 特別5室

2013年1月12日(Sat 土) 〜 2013年4月7日(Sun 日)



各地の霊山を巡り、生涯で12万体の仏像を彫ったという円空(1632-95)。円空は訪れた土地の山林の木を素材にして、あまり手数を掛けずに仏像を造 りました。表面には何も塗らず、木を割った時の切断面、節(ふし)や鑿跡(のみあと)がそのまま見える像が多くあります。木の生命力を感じさせ、素朴で優しい円空の仏は江戸時代以来村人に親しまれ、今も多くの人の心をひきつけます。この展覧会では、門外不出の「両面宿儺坐像(りょうめんすくなざぞう)」な ど、岐阜・千光寺(せんこうじ)所蔵の円空仏61体を中心に岐阜県高山市所在の100体を展示します。穂高岳乗鞍岳など円空が登った山の名前を書いた像もあります。 林立する飛騨の円空仏。展示室に飛騨の森の空気が満ちることでしょう。



両面宿儺坐像 円空作 江戸時代
17世紀 岐阜・千光寺蔵



http://pid.nhk.or.jp/event/PPG0168301/index.html

http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1556

東京国立博物館140周年 特別展「飛騨の円空―千光寺とその周辺の足跡―」


本館 特別5室 2013年1月12日(土) 〜 2013年4月7日(日)



会 期 2013年1月12日(土) 〜 2013年4月7日(日)
会 場 東京国立博物館 本館特別5室(上野公園)
開館時間 9:30〜17:00(入館は閉館の30分前まで)

(ただし、3・4月の金曜日は20:00まで、4月6日(土)、7日(日)は18:00まで)


休館日 月曜日
(ただし1月14日(月・祝)、2月11日(月・祝)は開館、1月15日(火)、2月12日(火)は休館)


観覧料金
一般900円(800円)、大学生700円(600円)、高校生400円(300円)


中学生以下無料
( )内は前売り・20名以上の団体料金


障がい者とその介護者一名は無料です。入館の際に障がい者手帳などをご提示ください。


特別展「書聖 王羲之」(2013年1月22日(火)〜3月3日(日))は、別途観覧料が必要です。


「東京・ミュージアムぐるっとパス」で、当日券一般900円を800円(100円割引)でお求めいただけます。正門チケット売場(窓口)にてお申し出ください。ただし、2012年度版(2013年1月31日(木)まで販売)は、2013年3月31日(日)まで有効です。


交 通
上野駅公園口・鶯谷駅より徒歩10分

東京メトロ銀座線・日比谷線上野駅、千代田線根津駅京成電鉄京成上野駅より徒歩15分


主 催 東京国立博物館、千光寺 他

お問合せ 03-5777-8600 (ハローダイヤル)

展覧会ホームページ http://enku2013.jp/



関連事業<講演会・講座> 記念講演会(1)円空と日本の風土
平成館 大講堂 2013年1月26日(土) 13:30 〜 15:00

<講演会・講座> 記念講演会(2)「飛騨人と円空の祈り」
平成館 大講堂 2013年3月9日(土) 13:30 〜 15:00



千光寺の円空仏を一挙公開


円空仏の寺”として知られる飛騨・千光寺。本展では同寺のほぼすべての円空仏61体を一挙に公開します。飛騨の伝説の鬼神を表す「両面宿儺坐像(りょうめんすくなざぞう)」、白洲正子が著書「十一面観音巡礼」で“美しい”と記した「三十三観音立像」など、数ある円空仏のなかでも屈指の名作が揃います。



秘仏歓喜天立像」を特別開帳
千光寺でも7年に一度しか公開されない、秘仏歓喜天立像(かんぎてんりゅうぞう)」が特別に公開されます。



飛騨の円空仏100体が一堂に
現在知られている約5000体の円空仏のうち、1500体以上が岐阜県にありますが、飛騨高山には、とりわけ多彩な円空仏が残されています。「千手観音菩薩立像」(清峰寺)、「柿本人麿坐像」(東山神明神社)など、高山市内の14の寺社が所蔵する100体を東京で初めて一堂に紹介します。



飛騨高山の森、上野に出現
円空は、木を割り、鉈(なた)や鑿(のみ)で彫って像を作りました。その表面には漆や色を塗っていません。木目や節が見え、円空仏が「木」であることを強く印象付けます。展覧会の会場には、ほとけの形をした木が100本林立することになります。これらの木はすべて高山の木に違いありませんから、飛騨高山の森が上野に出現することになるのです。



主な作品

両面宿儺坐像(りょうめんすくなざぞう)
円空作 江戸時代・17世紀 総高86.9cm 岐阜・千光寺蔵

両面宿儺とは、『日本書紀』に登場する異形の飛騨の怪物です。1つの胴体の前後に2つの顔、4本の手足を持つと記されています。大和朝廷に従わなかった古代の飛騨の豪族を象徴的に表わしたものと考えられています。この像は正面に顔を2つ並べ、手を4つ表わし、刀を佩(は)き斧を持って岩の上に坐す姿をしています。円空作の両面宿儺像はこの一体だけです。


不動明王および二童子立像(ふどうみょうおうにどうじりゅうぞう)
円空作 江戸時代・17世紀
総高(不動)95.8cm、(矜羯羅(こんがら))62.3cm、(制た迦(せいたか))58.8cm
岐阜・千光寺蔵

1本の木を縦に3つに割り不動明王は木の表皮側を、二童子は木心側を彫刻しています。不動明王は剣と索を持たせる穴を開けています。小心と言われる矜羯羅童子像(右)の意志の強そうな表情が印象的です。




三十三観音立像(さんじゅうさんかんのんりゅうぞう)
円空作 江戸時代・17世紀 総高61.0〜82.0cm 岐阜・千光寺蔵

木を断ち割った切断面を生かして、眉目を線で表わし、鼻口を簡潔に彫っています。普通観音像は蓮華をとるか水瓶を持つことが多いですが、両手を胸の前で組み合わせるこの形は、多くの像を造るための工夫だと考えられます。33体あったはずですが、31体しか残されていないのは、近隣の人々に貸し出して戻って来なかったからだといわれています。


賓頭盧尊者坐像
びんずるそんじゃざぞう)
円空作 江戸時代・17世紀
総高47.4cm 岐阜・千光寺蔵

小首を傾げてほほ笑む表情が愛らしい僧形像です。円空自身とも、当時の千光寺住職舜乗の姿とも言われます。背面に鑿(のみ)跡もなく平らなので柱のような建築部材を転用して彫刻したのかもしれません。



柿本人麿坐像
(かきのもとのひとまろざぞう)
円空作 江戸時代・17世紀
総高50.2cm 岐阜・東山神明神社

人磨像は折烏帽子(おりえぼし)をかぶり、脇息にもたれて足をくずす姿の中世の画像があり、それが定型になって流布していたのでしょう。円空も定型にならって複数の像を作っています。この像は、目をへの字に彫り、顎の下に数本の線を刻んで顎ひげを表わしています。への字の目は能の翁面に通じます。


宇賀神像(うがじんそう)
円空作 江戸時代・17世紀
総高19.8cm 岐阜・千光寺蔵



雨乞い、招福を祈る神です。蛇のからだに老人の頭をつけています。弁財天の頭に表わされることもあります。上から下にとぐろを巻き、正面で頭を持ち上げる姿です。雨を待つ村人の切実な願いに応じて作られたものでしょう。 迦楼羅烏天狗)立像
(かるら(からすてんぐ)りゅうぞう)
円空作 江戸時代・17世紀
総高30.0cm 岐阜・千光寺蔵



嘴(くちばし)の尖る鳥の頭に人間のからだをもっています。同じ形の像が烏天狗と呼ばれる例もあり、名称ははっきりしません。火難除けの神、秋葉権現として造られた可能性もあります。 八大龍王
(はちだいりゅうおうぞう)
円空作 江戸時代・17世紀
総高16.7cm 岐阜・千光寺蔵



円空には善女龍王あるいは龍頭観音と呼ばれる像をはじめ、龍に関わる像が多くあります。龍は水神なので干ばつの時の祈雨、大雨の時の止雨などを祈るために 作られたました。岩の上でとぐろを巻いて、正面で頭を持ち上げる姿です。龍なので頭が長くなっています。背面におそらく円空の字で「八大龍王」と墨書があ ります。


不動明王立像
(ふどうみょうおうりゅうぞう)
円空作 江戸時代・17世紀 
総高172.8cm 岐阜・素玄寺蔵


高山市の市街地に近い松倉山の観音堂にある洞窟に安置されていました。等身大で岩座、右手に持つ剣も含め丸彫りで表しています。両脇下、剣とからだの間を彫り透かしています。背面は平らで断面も長方形なので、建築部材を転用したものかもしれません。



如意輪観音菩薩坐像
(にょいりんかんのうぼさつざぞう)
円空作 江戸時代・17世紀
総高74.8cm 岐阜・東山白山神社

右手を頬にあて、左手を地面につき(手先は表わされていません)、右脚を立て、左脚をねかせて坐す姿です。如意輪観音は通常6本の腕を持ちますが、2本の場合もあります。この像のからだは鑿(のみ)跡を残さず滑らかに仕上げ、蓮弁の筋を細かく刻み、背面は平鑿で平らに整えており、東北にある円空初期の作例との共通点が多くあります。



愛染明王坐像
(あいぜんみょうおうざぞう)
円空作 江戸時代・17世紀
総高67.4cm 岐阜・霊泉寺蔵

獅子冠を戴き、怒りの形相で右手に五鈷杵(ごこしょ)、左手に五鈷鈴(ごこれい)を持ち、腕は6本という定型の姿です。ただし、本来弓と矢を脇手で持つ点が略されています。密教の像で、僧侶による祈祷を要するので、当初から寺院に安置されたのでしょう。

千手観音菩薩立像(せんじゅかんのんぼさつりゅうぞう)
円空作 江戸時代・17世紀 総高114.3cm 岐阜・清峰寺蔵

脇手を別材で作って貼り付けており、丸彫りが多い円空にはめずらしい像です。頭上に8面、脇手は左右各20本(左は6本失われています)を備え、前面に僧形像を伴います。千手観音像は栃木、埼玉に一体ずつありますが、このように僧形像を伴うことはありません。聖観音龍頭観音と三尊で安置されますが、他の2体より40?ほど小さいので当初から三尊一具だったかは不明です。

左:龍頭観音菩薩立像(りゅうずかんのんぼさつりゅうぞう)
円空作 江戸時代・17世紀 総高158.3cm 岐阜・清峰寺蔵



右:聖観音菩薩立像(しょうかんのんぼさつりゅうぞう)
円空作 江戸時代・17世紀 総高156.8cm 岐阜・清峰寺蔵

この2体は1本の木の半分をさらに縦に2つに割って作られており、いずれも木心側を彫っています。聖観音像は目のまわりに刻みを入れる円空独特の怒りの表情を作っており、名称は検討の余地があります。頭部と脚部に大きな節があり、全身に平鑿(のみ)の跡が残っています。龍頭観音像は大きな龍の頭部を頭上に表わしています。千手観音とともに三尊で安置されています。龍頭観音像と聖観音像の高さはほぼ同じですが、頭の上の龍を除けば龍頭観音像と千手観音像がほぼ同じ高さです。


近世畸人伝 第2巻(きんせいきじんでん)
伴蒿蹊(ばんこうけい)著 三熊花填(みくまかてん)画
江戸時代・寛政2年(1790) 東京国立博物館


寛政2年までに故人となっていた近世の個性的な人物88人の伝記を集めた本です。円空伝の一節「袈裟山にも立ちながらの枯木をもて作れる二王あり」を描いた挿図です。袈裟山は千光寺のことです。



金剛力士(仁王)立像 吽形
(こんごうりきし(にんおう)りゅうぞう うんぎょう)
円空作 江戸時代・17世紀
総高226.0cm 岐阜・千光寺蔵

地面に生えたままの立木を彫刻した像で現状の高さは2メートルを超えます。樹種は栓の木(針桐)です。江戸時代に編纂された『近世畸人伝』に木に梯子を掛けて鉈を振るう円空の姿を描いた挿図があります。今から150年ほど前に根元が腐朽したので切り取られ、仁王門に置かれました。阿吽一対揃っていますが、本展では保存状態の良い吽形のみ展示します。


秘仏歓喜天立像」を特別開帳
7年に一度しか公開されない秘仏歓喜天立像」。
この度、初めて厨子から出して展示します。



歓喜天立像(かんぎてんりゅうぞう)
円空作 江戸時代・17世紀 岐阜・千光寺蔵

雌雄の象が抱き合う姿のインドの神です。密教とともに日本に伝えられました。この像を本尊とする祈祷は秘密にしないと効果がなくなるため、多くが秘仏となっています。円空は小さな木片に簡略な彫りで頭部、牙、腕を表しています。

円空(1632-1695)とは
諸国を行脚
美濃国(現在の岐阜県)に生まれ、法隆寺(奈良)、園城寺(滋賀)、輪王寺(栃木)などで受法して法脈を継ぎました。
一方、修験者として大峰山(奈良)、伊吹山(滋賀)、二荒山(栃木)など霊山に登り、その途次立ち寄った集落で仏像を造りました。12万体造像の願を立てたと伝えられ、今までに5000体以上が知られています。もっとも早い造像は寛文3年(1663)美濃国で、寛文6年(1666)に北海道に渡り、北海道、青森、秋田などに初期の作例を残しています。近畿以西に足を踏み入れた痕跡は知られていません。元禄8年(1695)7月、美濃国関の弥勒寺で没しました。



円空像 大森旭亭筆(部分)
江戸時代・文化2年(1805) 千光寺蔵
12万体造像
没後に書かれた伝記によると、円空は12万体の造像を志したといわれます。今回出品される桂峰寺所蔵の今上皇帝立像背面には「当国万仏 十マ仏」と書かれており、これを飛騨国で1万体を造り、全部で10万体になった、と解釈する説があります。しかしこれには異論があり、12万体造像を否定する見方もあります。円空仏の中には木端仏と呼ばれる数センチほどの小木片に目鼻口を表わす線を刻んだだけのものも多く、念仏聖が百万遍念仏をするように造像に集中すれば不可能な数字とは言えません。



村人との交流
円空は、山に登り、修行する合間に麓や街道沿いの集落に滞在したのでしょう。集落の小さなお堂に円空仏が置かれていることが多くあります。おそらく宿を借り、布施を受けるお返しに仏像を彫ったのでしょう。木端仏を一人一人に配ることもあったかもしれません。

千光寺
岐阜県高山市真言宗寺院です。両面宿儺開創の伝説がありますが、平安時代嵯峨天皇の皇子で空海の弟子真如親王の名も開創者として伝わります。永禄7年(1564)武田信玄配下の武将に焼かれましたが、天正16年(1588)領主金森氏が再興しました。63体の円空仏が現存しています。千光寺の山号である袈裟山を和歌に詠みこんだ自筆の『袈裟山百首』も残されていることから、円空はここにしばらく滞在して千光寺住職舜乗と交流したことが知られています。