Artscene 芸術の風景 -アートシーン 展覧会情報

芸術、美術、展覧会の紹介をしています。

甲州市 わだつみ平和文庫(中村徳郎・克郎記念館)

“わだつみのこえ”中村さん死去
1月23日 14時53分
太平洋戦争で戦死した学生たちの手記などを集めた「きけわだつみのこえ」の編集に携わり、日本戦没学生記念会の理事長も務めた中村克郎さんが、22日、山梨県甲州市の病院で亡くなりました。86歳でした。
中村克郎さんは、太平洋戦争中にフィリピンで戦死した兄の徳郎さんから生前に託された手記をきっかけに、戦死した学生たちの手記などを集めた「きけわだつみのこえ」の編集に携わりました。70人以上の手記を掲載して昭和24年に出版された「きけわだつみのこえ」は反響を呼び、映画にもなりました。中村さんは、地元の山梨県甲州市産婦人科医を務めながら、日本戦没学生記念会=通称「わだつみ会」の理事長を20年以上務め、各地で講演活動などを行って平和の大切さを訴えてきました。平成20年には、甲州市に中村さんが集めた戦争や平和に関するおよそ3万点の資料を展示する「わだつみ平和文庫」が開設されました。

 

200人 遺志継承誓い  22日に亡くなった元日本戦没学生記念会わだつみ会)理事長の中村克郎さん=甲州市=の葬儀が24日、山梨市内で営まれた。約200人が参列し、反戦運動に生涯をささげた中村さんの冥福を祈った。
 戦没学生の遺稿集「きけわだつみのこえ」の編者として運動の先頭に立つだけでなく、医療者として地域医療を支えた中村さん。祭壇に飾られた遺影の中村さんは、運動でときに見せる厳しい表情ではなく、家族らに見せる柔和な笑顔だった。白髪の参列者が目立ち、焼香時に小さく嗚咽(おえつ)する男性の姿も見られた。
 わだつみ平和文庫(中村徳郎・克郎記念館)の運営に加わっている小林是綱・地域資料デジタル化研究会(笛吹市)理事長が、弔電を代読。作成途中の紹介冊子を捧げ、「日本中の中高生に渡す。戦争が起こらないよう活動を続けることを誓う」と語りかけた。
 中村さんの遺志を受け継ごうと、兄徳郎さんら戦没学生の手記を「アンネの日記」の
ように世界記憶遺産として登録をめざす意向が遺族にある。
 長女はるねさんは葬儀の終了後、「私たちの世代が責任を持って守っていきたい」と
話していた。


中村克郎さん死去:惜しむ声相次ぐ 「わだつみ」編集、「平和運動の中心」 /山梨

 第二次世界大戦の戦没学徒兵の手記を集めた遺稿集「きけ わだつみのこえ」の編集に携わった元医師の中村克郎さん=甲州市=が22日、肺炎で同市内の病院で死去した。86歳だった。親交のあった人たちからは、死を惜しむ声が相次いだ。

 中村さんが遺稿集をまとめたきっかけは、東大在学中に学徒兵として出征した兄徳郎さんの戦死だった。徳郎さんから手記を託されていた中村さんは戦後、徳郎さんを含め戦没学生の手記を収集。編者として携わった「きけ わだつみのこえ」は1949年に初版が刊行され、大きな反響を呼んだ。刊行を機に設立した「日本戦没学生記念会わだつみ会)」の中心メンバーでもあり、70〜94年は理事長を務めた。

 中村さんの次女夏野さん(53)は「二度と戦争を起こしてはいけないとの思いが強かった」と振り返る。戦争の悲惨さを伝えようと、全国の大学などで熱心に講演した。約10年前に交通事故に遭って以降は体が弱り、数年前から寝たきり生活を送っていた。

 08年には、中村さんが収集した戦争資料などを収めた「わだつみ平和文庫(中村徳郎・克郎記念館)」が甲州市に開館。長女はるねさん(57)が代表を務めている。

 中村さんの訃報に、わだつみ会(東京都文京区)の現理事長、石井力さん(72)は「1年前にお見舞いに伺った時も病床にあり、言葉を交わせなかった。本当に残念だ」と話した。山梨平和ミュージアム甲府市)の浅川保理事長は「山梨における平和運動の中心的人物だった。大きな損失だ」と惜しんだ。

 葬儀は24日午後0時半、山梨市上石森155の1のアピオセレモニーホール山梨。自宅は甲州市塩山上於曽1092。喪主は妻照子さん。