Artscene 芸術の風景 -アートシーン 展覧会情報

芸術、美術、展覧会の紹介をしています。

三鷹市・太宰治文学サロン

artscene2011-06-04



〒181-0013
東京都 三鷹市 下連雀 3-16−14  グランジャルダン三鷹 1F
Phone ・ Fax: 0422-26-9150



三鷹市 太宰治文学サロン

Dazai Osamu Literary Salon

http://mitaka.jpn.org/dazai/institution.shtml


【入館料】 入館無料


【開館時間】 10:00-17:30 入館無料


【休館日】 月曜日 (月曜日が休日の場合は開館し、休日を除く翌日と翌々日は休館)


 近代文学の作家、太宰治は、昭和14年9月から亡くなる昭和23年6月まで三鷹下連雀に住み主な作品の大半を市内で執筆するなど、三鷹にゆかりの深い作家である。 「太宰治文学サロン」 は、2008年、太宰治没後60年と2009年の生誕100年を記念し、太宰が通った伊勢元酒店の跡地に2008年3月、開設された。


 みたか観光ガイド協会メンバーが常駐し展示ガイドを行っている。土・祝休日は館内での案内の他、ご要望に応じて周辺の太宰ゆかりの場所へもご案内。


 太宰ゆかりの場所全体を展示場所、中心施設として位置付け、運営を市民と協働で行う拠点となる都市型文学関連施設。「資料展示」の場、「情報交流と発信」の場、そして、市民の皆さんの「交流」の場でもある。


2011年 2月8日(火)−6月5日(日)
【開館時間】 10:00−17:30

【入館料】 入館無料

【休館日】 月曜日(月曜日が休日の場合は開館し、休日を除く翌日・翌々日が休館)


  太宰治は、昭和14年(1939)9月1日に妻・石原美知子の郷里である甲府から、東京府北多摩郡三鷹下連雀(現:下連雀2丁目)に居を構え、終の住み家となった。六畳、四畳半、三畳の部屋と玄関、縁側と風呂場がついて12坪半ほどの新築の家は、3軒並びの一番奥で家賃は24円。太宰は、「鴎」 (昭和15年)、「乞食学生」(昭和15年)、「おさん」(昭和22年)などの作品の多くに自宅や周辺の様子を創作をまじえて描き残している。


  戦後の太宰は家族の住む自宅をさけ三鷹駅周辺の仕事部屋で作家活動を行っていた。「朝」に登場する "秘密の仕事部屋"は現在の藤和シティスクエアにあった。よく通った酒屋伊勢元(現・太宰治文学サロン)からほど近くにあった山崎富栄の部屋でも執筆活動をしており、「グッド・バイ」はここで書かれた後、未完となっている。編集者とは品川用水(現さくら通り)沿いにあった「うなぎ若松屋」で打ち合わせるなどしていた。


 今回の展示では、「おさん」「人間失格」(共に複製)の原稿や、昭和23年に太宰が武蔵野税務署に宛てた「審査請求書」(複製)をはじめ、当時の雑誌や書籍(復刻版)などを展示。太宰の仕事場であった中鉢家(平成9年撮影)や太宰一家が通った酒屋伊勢元(昭和30年代撮影)の写真なども紹介。


 太宰治
 (1909年〔明治42〕−1948年〔昭和23〕)

 日本の近代文学を代表する作家。青森県北津軽郡金木村(現・五所川原市金木町)の素封家の家に生まれる。本名、津島修治。東大仏文科に在学中に非合法運動に関わるが脱落し、大学は中退する。昭和11年の短篇集『晩年』以降、話術に長けた文体で短・中篇を発表して若い読者の心をとらえる。昭和14年1月、井伏鱒二の媒酌で石原美知子と結婚、同年9月より府下三鷹村(現・三鷹市下連雀の借家に住み終生の住まいとする。
 
 
 三鷹入居の頃は「駈込み訴え」「女の決闘」「走れメロス」など平明な名品を生み出している。同時に、「鴎」「善蔵を思う」「乞食学生」「きりぎりす」「東京八景」「風の便り」「十二月八日」など東京郊外における創作活動や生活を書き込んだ作品も数多く書いた。
 
 
 大戦後は、「斜陽」などの発表により、織田作之助坂口安吾らと共に無頼派として注目される。「ヴィヨンの妻」「父」「おさん」「桜桃」「家庭の幸福」など三鷹での生活を素材とした作品も継続して残した。「人間失格(第1回)」を発表した直後、39歳の誕生日を目前にした昭和23年6月13日、山崎富栄と共に玉川上水に身を投じた。