Artscene 芸術の風景 -アートシーン 展覧会情報

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生誕120年 宮芳平展−野の花として生くる。

artscene2013-09-10


自画像1914年
≪自画像≫1914年安曇野市豊科近代美術館蔵


森鴎外の短編小説「天寵」の主人公M君のモデルとなった画家・宮芳平(1893〜1971)を紹介する企画展です。


宮芳平は新潟県魚沼に生まれ、理想の画家になるため東京美術学校に学びます。在学中の大正3(1914)年、第8回文展に自信作《椿》を出品するも落選、その理由を審査委員であった森鴎外に尋ねにいったことから二人の交流が始まりました。翌年の第9回文展にはアールヌーボーを取り入れた象徴派風の作品≪海のメランコリー≫が入選。この頃、キリスト教的雰囲気をもった作品≪聖夜≫なども制作。日本美術院洋画部では、デッサンコンクールで村山槐多をうならせたという伝説をもっています。


また、病床の中村彝のもとに通い絵をみてもらいながら、画家としての成功を夢見ますが、1923年に長野県諏訪高等女学校の美術教師の職を紹介してもらうと、諏訪に落ち着き、誠実に子供たちと風景を見つめ、生涯、市井の画家として絵を描き続けました。亡くなってから40年以上がたちますが、今でも教え子たちに愛され、熱心なファンを持つ知られざる画家です。


本展は生誕120年を記念し、鴎外に愛され、生涯を野の花のように素朴に生きた宮芳平の画業の全貌を紹介し、油彩画のほか、素描、銅版画、ペン画など多彩な魅力に迫ります。


聖夜
≪聖夜≫1916年練馬区立美術館蔵
若きLの像
≪若きLの像≫1917年練馬区立美術館蔵

椿
≪椿≫1914年安曇野市豊科近代美術館蔵


【会期】平成25年9月15日(日曜)から11月24日(日曜)
【休館日】月曜日(ただし9月16日、9月23日、10月14日、11月4日は開館、翌日休館)


【開館時間】午前10時から午後6時※入館は午後5時30分まで
【観覧料】一般500円、高・大生および65歳から74歳300円、中学生以下および75歳以上無料(その他各種割引制度あり)
【主催】練馬区立美術館/読売新聞社/美術館連絡協議会


【助成】公益財団法人 三菱UFJ信託地域文化財
【協賛】ライオン、清水建設大日本印刷、損保ジャパン、日本テレビ放送網
【協力】日本通運



ギャラリートーク(事前申込不要)
【日時】9月21日、28日、10月12日、19日、26日、11月2日、16日(土曜)午後3時から4時
【場所】美術館展示室
展示室で学芸員が作品解説を行います。



記念コンサート(事前申込不要)
「宮芳平が愛聴していた楽曲」
【日時】11月9日(土曜)午後3時から4時
【場所】美術館ロビー
【演奏】大松暁子(ヴァイオリン)、塚田誠(ピアノ)




銀河万丈氏(声優)による読み語り(要事前申込)
貫井図書館共同主催
【読み語り題目】森鴎外「天龍」ほか
【日時】10月5日(土曜)午後3時から4時半
【場所】美術館視聴覚室
【対象】中学生以上
【定員】70名
【申込締切】9月21日(土曜)必着・抽選


記念講演会(要事前申込)
森鴎外と宮芳平―文学と美術の交響」
【講師】山崎一穎(跡見学園理事長、森鴎外記念会会長)
【日時】11月23日(土曜・祝)午後3時から
【会場】美術館視聴覚室
【対象】中学生以上
【定員】70名
【申込締切】11月9日(土曜)必着・抽選


読み語り・講演会申込方法
(1)イベント名(2)住所(3)氏名(ふりがな)(4)年齢(5)電話番号を記入のうえ、往復ハガキまたはEメール(museum@city.nerima.tokyo.jp)にて練馬区立美術館へ。1通のハガキ・メールで2名までご応募頂けます。連名で記入してください。複数のイベントに申込の際は、1つのイベントにつき1通のハガキ・メールを出してください。まとめてのご応募はできません。Eメールの場合、タイトルに申込希望のイベント名を記載すること(例:「10月5日読み語り申込」)。抽選結果は当選・落選に係わらず通知いたします。



落日の嘆美
≪落日の嘆美≫1916年練馬区立美術館蔵
今日よりは幸福な日ぞ
≪今日よりは幸福な日ぞ≫(制作年不詳)個人蔵
宮芳平略歴


1893年(明治26) 新潟県北魚沼郡堀乃内村(現在の魚沼市堀之内)に生まれる。なお歌人宮柊二は甥にあたる。
1910年(明治43) 日本海に沈む夕日に感動し、画家となる決意をする。
1913年(大正2) 4月、東京美術学校西洋画科に入学。
1914年(大正3) 3月、大正博覧会に≪カーテンに≫を応募、入選する。10月、第八回文展に≪椿≫を応募するが落選。落選の理由を聞きに、文展審査委員だった森林太郎(鴎外)を訪ね、それが縁で以後知遇を受ける。
1915年(大正4) 森鴎外が宮芳平をモデル(主人公M君)にした短編小説「天寵」を書き、『ARS(アルス)』創刊号(主宰=北原白秋)に寄稿。
1920年(大正9) 中村彝に師事。
1923年(大正12) 中村彝の勧めで、清水多嘉示フランス留学の後任として、長野県諏訪高等女学校(現諏訪二葉高校)嘱託となる。以後、1958年(昭和33)に退職するまで、教師を続けながら作品制作をおこなった。
1955年(昭和30) 知人より聖書をもらう。晩年、芳平はこれを愛読した。
1966年(昭和41) 3月から4月、CEO財団奉仕局主催の欧州ツアー「聖地巡礼」に参加し、ローマ、パリ、ロンドン、ベルリン、ジュネーブアテネ、カイロ、エルサレム等を巡る。
1971年(昭和46) 3月30日、国立療養所宇多野病院にて永眠。享年77。アトリエには絶筆≪黒い太陽≫が残されていた。