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大津市歴史博物館

大津市園城寺三井寺地蔵菩薩像に足利将軍の遺髪が保存

地蔵菩薩像の頭部を写したエックス線写真


ゆかりの園城寺、X線調査で仏像頭部に「和紙」

http://www.shiga-miidera.or.jp

足利将軍の遺髪が頭部に納められている可能性が高まった地蔵菩薩像(大津市歴史博物館で) 室町幕府を開いた足利氏とゆかりの深い大津市園城寺三井寺)が所蔵する仏像頭部の中に、足利将軍の遺髪が包まれた可能性のある和紙が入っていることがエックス線撮影により確認された。市歴史博物館が9日、発表した。初代将軍の尊氏(たかうじ)(1305〜58)か2代、義詮(よしあきら)(1330〜67)の可能性が高いという。


 園城寺は、尊氏が再興したとされる新羅善神堂(しんらぜんしんどう)(国宝)が残り、足利氏御用達と位置付けられた仏師集団「院派(いんぱ)」が作った3体の木造の地蔵菩薩(ぼさつ)像が伝わる。


 この時代の仏像は内部がくりぬかれた構造のものが多く、なかでも1350〜70年頃に作られたとみられる1体は内部の首の付け根部分に布が漆で貼り付けられており、専門家からは「頭部もくりぬかれていて中に何かが納められている可能性が高い」との声が出ていた。


 今回、東京文化財研究所の協力を得て、エックス線で頭の内部を撮影したところ、折りたたまれた包み紙(縦約7センチ、横幅は不明)の存在が確認できた。


 南北朝時代の資料「園城寺文書」では、3代、義満の後見役として知られる武将・細川頼之が1368年、同寺に送った書状があり、そこでは「源頼朝足利尊氏の先例にならって、義詮の遺髪を納めた地蔵菩薩像を園城寺に奉納した」という趣旨の記述が出てくる。


 当時は弔いの儀式として亡くなった人の耳の近くの「鬢髪(びんぱつ)」を、仏像に納めて寺社に奉納する習わしがあったことなどを踏まえ、同博物館は「時代状況を考えると、菩薩像の中で確認できたのは、尊氏、義詮のいずれかの遺髪を包んだ紙だと思われる」と判断した。


 同博物館の寺島典人学芸員(43)は「伝承が裏付けられた格好で感動した。解体修理の時期が来れば中を視認することもできるが、それは何十年以上も先のことになる」と話す。


 地蔵菩薩像とエックス線写真のパネルは13〜25日、同博物館で一般公開される。

 問い合わせは、同館(077・521・2100)



大津市歴史博物館は9日、三井寺園城寺)にある室町時代前期の木造地蔵菩薩(ぼさつ)坐像をエックス線撮影したところ、頭部の中に納入品を包んだとみられる紙が見つかったと発表した。寺の文書に、地蔵菩薩に納入した記録がある室町幕府2代将軍足利義詮か、初代尊氏の遺髪の可能性があるとみている。
 三井寺には、足利家御用達と言われた仏師集団「院派」の作とみられる地蔵菩薩像が3体ある。金堂にある1体(高さ42センチ)の首の付け根には、頭部の空洞をふさぐ布があり、納入品があるとみて撮影した結果、約7センチ四方に折りたたんだ紙があることが判明した。
 地蔵信仰にあつかったと伝わる尊氏は、当時の三井寺金堂などを再建し、寺との関係も深かった。義詮が亡くなった翌年の1368年の「園城寺文書」には、尊氏が亡くなったときの先例に従って、地蔵菩薩に義詮の髪を入れて寺に納めたとの記述がある。仏像の制作時期が1350〜70年ごろとみられることから、義詮か、1358年に亡くなった尊氏の遺髪を納めた像と推測できるとしている。
 撮影に協力した東京文化財研究所の津田徹英文化形成室長(日本彫刻史)は「破壊せずに納入品が見つかった意義は大きいが、髪は細い線でも写るはずなので、髪があるかは慎重に判断しなければならない」としている。
 同博物館では13〜25日まで、地蔵菩薩坐像とエックス線写真を展示する。有料。