京都・聚楽第の本丸石垣を発見
豊臣秀吉が造営し、1587年に完成した城郭風の邸宅「聚楽第」本丸南堀の石垣の一部が、京都市上京区須浜町で見つかった。聚楽第の発掘調査では、北の丸の堀で石垣の一部が見つかっているが、本格的な石垣が確認されたのは初。
発掘された石垣は花崗岩が2段に積まれ、高さは約80cm。一つの石の高さと幅は40〜50cmで、全部で6列確認されている。周辺に金箔が施された瓦片3個も見つかった。本丸は東西200m、南北に330mあったと推定されている。石垣は深さ7mの堀の底に近い部分ではないかと推定されている。
豊臣秀吉は、甥に当たる豊臣秀次に関白職と自ら造営した聚楽第を譲ったが、嫡男の秀頼が誕生すると態度を豹変させ、難癖をつけて秀次を切腹に追い込み、妻子や一族など数十人を処刑する歴史的虐殺に及んでいる。
この際、聚楽第が破壊され、遺構はほとんど見つかっていなかった。聚楽第の構造を知る上で貴重な発見であり、今後も調査、分析を進めていく(センターの古川匠調査員)としている。
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