Artscene 芸術の風景 -アートシーン 展覧会情報

芸術、美術、展覧会の紹介をしています。

ジャン・シメオン・シャルダン展 Chardin

artscene2012-09-23



開催期間
2012年9月8日(土)〜2013年1月6日(日)
開館時間
木・金・土 10:00〜20:00/
火・水・日・祝 10:00〜18:00
休館日
月曜休館 / 12月29日(土)〜2013年1月1日(火)
(但し、祝日の場合は開館し、翌火曜休館/12月25日は開館)


ジャン・シメオン・シャルダン《木いちごの籠》 1760年頃


ジャン・シメオン・シャルダン(1699-1779)は、フランスを代表する静物・風俗画の巨匠です。わが国で初めてのシャルダンの個展となる本展は、ルーヴル美術館名誉総裁・館長ピエール・ローザンベールの監修により、厳選した38作品のみで構成されます。

ジャン・シメオン・シャルダン《食前の祈り》 1740年頃 
油彩、画布 49.5×41cmパリ、ルーヴル美術館
©RMN-GP (Musée du Louvre) / Franck Raux / distributed by AMF- DNPartcom



シャルダンの最も美しい作品と言われる《羽根をもつ少女》、シャルダンが描いた唯一の花の絵《カーネーションの花瓶》、晩年の静物画の最高傑作であり、個人所蔵のため普段は非公開の《木いちごの籠》を含む26作品が日本初公開となります。


また、1740年にシャルダンが国王ルイ15世に謁見を許され献呈した《食前の祈り》は、その後各国の王侯貴族が競って入手しようとし、注文が殺到しました。同主題の作品は4点のみ現存し、そのうちロシアの女帝エカチェリーナ2世が愛蔵した作品と、シャルダンが亡くなるまで手元に残した作品が出品されます。


食前に捧げる感謝の祈り(ベネディシテ)の途中で言葉に詰まってしまった幼い子、それを見守る母と姉の視線が交わされる瞬間を描いた《食前の祈り》のように、本展は、日常生活のなかの静寂あふれる描写が評価されたシャルダンの秀作を纏まった形で鑑賞する極めて贅沢で稀有な機会となるでしょう。


【ピエール・ローザンベール】

1936年生まれ。ルーヴル美術館名誉館長。シャルダン没後200年、生誕300年を記念する国際巡回展を組織した17、18世紀フランス美術研究の第一人者。



会期
2012年9月8日(土)〜2013年1月6日(日)
開館時間
木・金・土10:00〜20:00/火・水・日・祝10:00〜18:00


入館は閉館の30分前まで。



休館日
月曜休館 / 12月29日(土)〜2013年1月1日(火)


(但し、祝日の場合は開館し、翌火曜休館/12月25日は開館)


特別協力
ルーヴル美術館


後援
フランス大使館


展覧会サイト
http://mimt.jp/chardin


美術館サイト
http://mimt.jp


[当日券]
大人1500円 / 高校・大学生1000円 / 小・中学生500円



[“アフター6”割引]
対象日:平日の木曜・金曜
時間:18:00〜20:00(最終入館は〜19:30)
料金:1000円(大人当日券のみ適用)




シャルダン自身の言葉、知られざるエピソードをたっぷりご紹介。
スペシャル解説では、三菱一号館美術館館長、本展担当学芸員シャルダンの魅力を語ります。

【所要時間】 約30分  【価格】 500円(税込)

音声ガイドに関するお問い合わせ  
(株)A&Dオーディオガイド
TEL:03-5411-5010 (月〜金、9:30〜18:00)



〒100-0005 東京都千代田区丸の内2-6-2

東京メトロ千代田線「二重橋前」駅(1番出口)から徒歩3分
都営三田線「日比谷」駅(B7番出口)から徒歩4分
・JR「東京」駅(丸の内南口)/JR「有楽町」駅(国際フォーラム口)から徒歩5分


https://twitter.com/chardin2012



1699年11月2日、シャルダンJean Siméon Chardinはセーヌ左岸のパリの下町、セーヌ通りに生まれました。父はビリヤード台を作る職人で王家にも納品していました。画家を志したシャルダンは、歴史画家ピエール・ジャック・カーズ(1676-1754)に師事しましたが、ほどなくカーズのもとを去り、装飾画家ノエル=ニコラ・コワペル(1690-1734)の制作助手をした後、1724年に職人画家の組合、聖ルカ・アカデミーに登録しました。


シャルダンが初めて画壇に認知されたのは、1728年に開催された青年画家展でした。キリスト聖体の祝日、ドーフィーヌ広場で開催されるこの野外展覧会に出品し、好評を博します。シャルダンの作品を見た王立絵画彫刻アカデミー(以下アカデミーと略)の会員たちの励ましを受けて、アカデミーに入会を申請、《赤えい》と《食卓》(ともにルーヴル美術館蔵)によって、「動物と果実に卓越した画家」としてアカデミーに受け入れられます。


1731年には、マルグリット・サンタールとセーヌ左岸のサン=シュルピス聖堂で結婚し、同年には長男のジャン・ピエールが生まれます。女の子にも恵まれますが、間もなく病弱だったマルグリットと長女が亡くなり、後にシャルダンはフランソワーズ・マルグリット・プジェと再婚します。


当時、絵画は主題によって格付けされ、歴史画が最も格上とされました。シャルダン静物画の名手として知られ、また親密な雰囲気の風俗画も評価されましたが、いずれも格下のジャンルと見なされていました。シャルダンは長男にアカデミーで教育を受けさせ、歴史画家にしようとします。ところが父親の期待を一身に背負った息子は、歴史画家としての適性に欠け、一説には滞在先のヴェネチアで入水自殺をしたとも言われています。


このような不幸があったものの、シャルダンは、アカデミーの会計官とサロンの展示係を兼任し、国王からルーヴル宮内の官舎に住むことを許されました。当時の画壇に評価され、名誉を手にしましたが、晩年にはアカデミー内での庇護者が失脚し、1774年には会計官とサロンの展示係を辞してしまいます。眼疾を患い、油絵の制作に眼が耐えられなくなりますが、新たにパステル画を試み、妻の肖像や自画像などの印象深い作品を制作します。1779年のサロンに3点のパステル画を出品したのを最後に、1779年12月6日に亡くなりました。

木いちごの籠

ジャン・シメオン・シャルダン《木いちごの籠》 1760年頃 油彩、画布 38×46cm 個人蔵
©RMN-GP / René-Gabriel Ojéda / distributed by AMF- DNPartcom



買い物帰りの女中

ジャン・シメオン・シャルダン《買い物帰りの女中》 1739年 油彩、画布 47×38cm パリ、ルーヴル美術館
© RMN-GP (Musée du Louvre) / René-Gabriel Ojéda / distributed by AMF- DNPartcom




シャルダンは風俗画を描く時に、17世紀のオランダの風俗画を参考にしたと思われます。オランダの風俗画には教訓的な意味が込められており、シャルダンの風俗画にもそれを読み解こうとする研究者がいます。しかし、本展監修のローザンベールは、過度に図像の解釈をすることに懐疑的で、シャルダンは最終的な構図と仕上げを最重要視したと考えています。


フランドルやオランダの風俗画が些末な逸話を物語る情景を饒舌に描いたのに対して、シャルダンに選ばれた、何の変哲もないブルジョワジーの日常生活の一瞬の光景は、詩的な静けさの中に、永遠に純化されています。
シャルダンの《木いちごの籠》は、静謐な詩情を湛えた晩年の傑作です。19世紀後半に、シャルダンの再評価を積極的に進めたフランスのゴンクール兄弟は、この作品について、ディドロのサロン評を下敷きにしながら、興味深い分析をしています。



この2本のカーネーション。それらは青と白の断片、銀張りして七宝細工を施した浮き彫りの一種のモザイクにすぎない。けれども、少し下がってみたまえ。離れるにしたがいカンヴァスから花が立ち上がってくる(・・・)それこそシャルダンの芸術の驚異である。


カーネーションは塊として、その置かれた環境のなかで造形され、それを照らす光りで描かれ、その色彩の本質を語らせるようにつくり上げられており、それは絵画と鑑賞者の間の空間のなかで、驚くべき視覚の作用によって、カンヴァスを離れて生き返るように見える(ノートン・大野訳『シャルダン』、西村書店、2002年、108頁)。


仏文学者の保苅瑞穂は、1979年パリのシャルダン展で、本展に出品されている個人蔵作品《木いちごの籠》に感銘を受けたことを、『プルースト・印象と比喩』(ちくま学芸文庫)に記しています。また作家の伊集院静は、1999年パリのシャルダン展で見た《羽根を持つ少女》そして《買い物帰りの女中》に、『美の旅人フランス編1』(小学館文庫)で賛辞を寄せています。


死んだ野兎と獲物袋

ジャン・シメオン・シャルダン《死んだ野兎と獲物袋》 1730年以前 油彩、画布 98×76cm ルーヴル美術館
© RMN-GP (Musée du Louvre) / René-Gabriel Ojéda / distributed by AMF- DNPartcom



ビリヤードの勝負

ジャン・シメオン・シャルダン《ビリヤードの勝負》 1720年頃 油彩、画布 55×82.5cm パリ、カルナヴァレ美術館蔵
© RMN-GP / Jean Schormans / distributed by AMF- DNPartcom



すももの鉢と水差し

ジャン・シメオン・シャルダン《すももの鉢と水差し》 1728-30年頃 油彩、画布 44.25×56.20cm ワシントン、フィリップス・コレクション蔵
The Phillips Collection, Washington, D.C.




シャルダンの現存作品数は所在が確認されているもので、238点(本展監修者のピエール・ローザンベールが編纂した最新の総目録による)。研究者によりばらつきはあるものの35点前後と極めて寡作なフェルメール、10年ほどの間に集中して約2,000点を描いているゴッホとはいずれも極端で比べようがありませんが、シャルダンの60年に及ぶ画業を考慮すると、残された作品は決して多くはありません。


その画業は、静物画を主に描いた時期(1730年代初めまでと1750年代初めから)、風俗画を中心に描いた時期(1730年代初めから1750年代初めまで)に大分されます。これらと重なるように、大型の装飾画を制作した時期があり、晩年にはパステル画を手がけています。


シャルダンが最初に依頼を受けた仕事は、外科医の看板であったと言われていますが、今では失われてしまいました。現存する最初期の油絵は、《ビリヤードの勝負》です。後に風俗画を手がけるシャルダンですが、これだけの大人数を配した構成は他に例がありません。父親がビリヤード台の職人であったことを思い起こさせます。


シャルダンのアカデミー入会作品は、当時流行していたフランドルの厨房画や先行するフランスの静物画の影響が著しいものでした。猫を配して厨房の情景を描いた《赤えい》、犬と鸚鵡を配して食卓の情景を描いた《食卓》のように、画面には多くのモティーフが配されて複雑に構成されていましたが、シャルダンは徐々にモティーフを絞っていきます。《すももの鉢と水差し》に描かれた水差しは、清の康煕帝(位1661-1722)の時代に作られた中国磁器で、東インド会社によりもたらされた、とする研究があります。


当時は王侯貴族の楽しみである狩りの獲物を猟犬などと描いた狩猟画という分野があり、初期にはシャルダンも数点の狩猟画を手がけていますが、次第に《死んだ野兎と獲物袋》のように、奥行きの浅い空間に狩りの獲物だけをクローズアップする、シャルダン独自の静物画に至ります。

肉のない料理

ジャン・シメオン・シャルダン《肉のない料理》 1731年油彩、銅板 33×41cm パリ、ルーヴル美術館
© RMN-GP (Musée du Louvre) / René-Gabriel Ojéda / distributed by AMF- DNPartcom


肉のある料理

ジャン・シメオン・シャルダン《肉のある料理》 1731年油彩、銅板 33×41cm パリ、ルーヴル美術館
© RMN-GP (Musée du Louvre) / Gérard Blot / Hervé Lewandowski / distributed by AMF- DNPartcom


1730年頃から、シャルダンは厨房に並べられた調理器具や食材をモティーフに描き始めます。《肉のない料理》と《肉のある料理》の題名は19世紀につけられたものですが、画題は四旬節の断食の習慣にもとづいています。


四旬節とはカトリック教会において、復活祭の40日(安息日である日曜日を含むと46日)前から始まる期間で、この間は節制が求められ、祝宴は自粛されました。この2点は対の作品として構想され、肉と魚が対比されているだけでなく、色彩の面でも《肉のない料理》の画面中央部を占める魚とフライパンの寒色と、《肉のある料理》の銅鍋と肉の暖色が対比されています。また、ともにシャルダンの作品としては極めて珍しく、銅板の上に描かれています。支持体の表面が滑らかなため、絵肌には独特の魅力的な艶のある輝きがみられます。

画家ジョゼフ・アヴェドの肖像(別名)錬金術

ジャン・シメオン・シャルダン《画家ジョゼフ・アヴェドの肖像(別名)錬金術師》 1734年 油彩、画布 138×105cm パリ、ルーヴル美術館
© RMN-GP (Musée du Louvre) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF- DNPartcom

食前の祈り

ジャン・シメオン・シャルダン《食前の祈り》 1740年頃 油彩、画布 49.5×41cm パリ、ルーヴル美術館
© RMN-GP (Musée du Louvre) / Franck Raux / distributed by AMF- DNPartcom


シャルダンは1733年頃から風俗画を描き始めます。風俗画は静物画に比べて格上のジャンルに属していること、そして当時のコレクターの間で流行したことが理由として挙げられます。シャルダン静物画は、主に画家や批評家の顧客を得ていたのに対して、風俗画を注文する顧客にはスウェーデン王妃、プロイセン王、そしてロシアの皇帝といった外国の王侯貴族が名を連ねています。


シャルダンは最初の風俗画に、恋文に封をする上流階級の婦人を、バロック的な動きのある構成の大画面に、ロココ的な主題を組み合わせて描きましたが、すぐにバロック的な要素は陰を潜め、《画家ジョゼフ・アヴェドの肖像(別名)錬金術師》のように友人や妻をモデルに、単身で描くようになります。《羽根を持つ少女》のように、遊ぶ少年少女を比較的大きくとらえた、モニュメンタルな作品が描かれるようになるのは、1730年代の後半のことです。またシャルダンは並行して、小振りな画面に、台所で立ち働く家政婦や洗濯女などを描いた作品を残しています。


シャルダンにとっての栄光の瞬間、それは1740年に訪れます。国王ルイ15世への謁見を許されたシャルダンは、同年のサロンに出品され好評を博した《働きものの母》と《食前の祈り》(ともにルーヴル美術館)を献呈します。食卓で食前に捧げる感謝の祈り(ベネディシテ)の途中で言葉に詰まってしまった幼い(女の子のような服を着てはいるが実は)男の子に、母と姉の視線が集中し、母と男の子の視線が交わされる瞬間を描いた《食前の祈り》は、日常生活のなかの絶妙な瞬間の描写が評価され、多くのヴァリアントが描かれました。現存するシャルダンの真筆画4点のうち、今回のシャルダン展はそのうちの2点が出品されます。

銀のゴブレットとりんご

ジャン・シメオン・シャルダン 《銀のゴブレットとりんご》 1768年頃 油彩、画布 33×41cm パリ、ルーヴル美術館
© RMN-GP (Musée du Louvre) / Stéphane Maréchalle / distributed by AMF- DNPartcom


1750年代の半ばになると、シャルダンは完全に風俗画を放棄してしまい、再び静物画に専念するようになります。
シャルダンはしばしば、実際に使っている身の回りの家庭用品を描きました。後半生に描いた静物画では、若い頃の静物画と共通するモティーフも見られ、例えば、《銀のゴブレットとりんご》では、初期の静物画にも描かれたゴブレット=足付きの酒杯が描かれています。一方で、裕福な未亡人であったフランソワーズ・マルグリット・プジェとの再婚によりもたらされた、高価な品々も多く描かれました。


シャルダン静物画は、百科全書を編纂した啓蒙主義の思想家ディドロ(1713-1784)がサロン評で取り上げるなど、注目を集めました。

肉のない料理

ジャン・シメオン・シャルダン《肉のない料理》 1731年 油彩、画布 33×41cm パリ、ルーヴル美術館
© RMN-GP (Musée du Louvre) / René-Gabriel Ojéda / distributed by AMF- DNPartcom

肉のある料理

ジャン・シメオン・シャルダン《肉のある料理》 1731年 油彩、画布 33×41cm パリ、ルーヴル美術館
© RMN-GP (Musée du Louvre) / Gérard Blot / Hervé Lewandowski / distributed by AMF- DNPartcom

買い物帰りの女中

ジャン・シメオン・シャルダン《買い物帰りの女中》 1739年 油彩、画布 47×38cm パリ、ルーヴル美術館
© RMN-GP (Musée du Louvre) / René-Gabriel Ojéda / distributed by AMF- DNPartcom


シャルダンは没後、急速に忘れられていきます。再び注目を浴びたのは19世紀になってからのことでした。批評家のトレ=ビュルガー(1807-1869)はフェルメールの再評価にあたり大きな役割を果たしましたが、同時に19世紀の半ばにシャルダン再評価の先鞭を付けました。そのトレ=ビュルガーが、《肉のない料理》と《肉のある料理》を見つけたのは1840年、わずか10フランで購入したと伝えられています。一度は忘れられたシャルダンですが、相次ぐ展覧会と競売を機に評価は徐々に高まり、ミレー(1814-1875)、マネ(1832-1883)、セザンヌ(1839-1906)などの多くの画家がシャルダンの影響を受けました。


またフォーヴィスムの画家マティス(1869-1954)は、《赤えい》と《食卓》の模写を残していますし、マティスの仲間のマルケ(1875-1946)は、《買い物帰りの女中》の模写をしました。《買い物帰りの女中》はそのモニュメンタルな造形性により、後代の画家や批評家たちに注目され、美術評論家アンドレ・マルロー(1901-1976)はこの作品のヴァリアント(同主題の異作)について、キュビスムの画家ジョルジュ・ブラック(1882-1963)の作品に比すると讃えています。


シャルダンの影響は画家にとどまりません。シャルダンに触れた前述のトレの論考が発表された直後に、バルザック(1799-1850)は小説『従兄ポンス』に、シャルダンの名前を記しています。また日本でも愛好者の多い小説家のプルースト(1871-1922)は、『失われた時を求めて』において幾度かシャルダンに言及し、《赤えい》や《食卓》から着想を得た描写を残しています。


1971年にエステー化学工業株式会社(現エステー株式会社)から発売された消臭芳香剤シャルダンの商品名は、画家のシャルダンに由来します。この製品の広告を通して、「シャルダン」という名は、愛好家以外にも広く知られています。だが画家としてのシャルダンの認知度は、美術史上の重要性に比して、我が国ではそれほど高くはないようです。国内美術館に所蔵される作品が2点しかなく、国内で開催される海外美術館のコレクション展でも数点ずつの作品が含まれているのみ(最多は1997年に東京都美術館ほかで開催された「ルーヴル美術館展」の4点)で、今日に至るまでシャルダンの個展が開かれていないことが原因と思われます。


とはいえ、展覧会の出品作にシャルダンが含まれていることも少なくありません。国立新美術館で開催中の「大エルミタージュ美術館展世紀の顔」(4月25日から7月16日、名古屋、京都へ巡回)、そして国立西洋美術館で開催される「ベルリン国立美術館展」(6月13日から9月17日、福岡へ巡回)には、ともに1点だけですが、シャルダンが含まれています。


これまで断片的に紹介されただけの画家シャルダンですが、海外の美術館と個人、国内の美術館から借用する38点で構成される我が国初のシャルダン展は、かつてフランスで開かれた大シャルダン展を鑑賞する機会に恵まれた保苅瑞穂、伊集院静のふたりがとりわけ高く評価した作品を含んでおり、見逃すことのできない展覧会となるはずです。