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深沢紅子展 野の花によせて

artscene2012-09-12



9月15日(土)−11月4日(日)  

9月26日(水)、10月31日(水)は休館日

生涯を通して花と女性像を中心に制作を行った深沢紅子(ふかざわこうこ)(1903-1993)。軽井沢の深沢紅子野の花美術館のご協力のもと、晩年描いた野の花の水彩画を中心に展示。



生涯を通して花と女性像を中心に制作を行った深沢紅子(ふかざわこうこ 1903-1993)は、岩手県盛岡に生まれ、女子美術学校(現・女子美術大学日本画科に入学、その後油彩画科に転向して岡田三郎助に学びました。同郷の油彩画家・童画家の深沢省三と結婚し、一時期吉祥寺に居住していましたが、終戦を機に帰郷。省三とともに岩手美術研究所を設立するなど美術教育にも力を注ぎました。1955年に再び上京し練馬にアトリエを構えましたが、76歳のときに自宅アトリエが全焼するという悲劇に見舞われます。こうした困難な時期をも乗り越え、意欲的に制作を続けましたが、夫・省三が没してちょうど1年後の1993年、90歳の生涯を閉じました。



若くして二科展に初入選すると、その後、一水会、女流画家協会などを発表の場として活躍。日本画の影響もうかがえる淡い色彩で描いた気品ある油彩画で、専ら親しい人や愛した花々を画題としていました。また、立原道造堀辰雄ら多くの文学者・詩人たちと交流し、挿絵や装丁も数多く手がけています。



晩年、油彩の大作の制作は少なくなりましたが、水彩で数々の野の花を描いていました。1964年頃から約20年間、夏期になると軽井沢の堀辰雄山荘に滞在して制作を行っていたこともあり、軽井沢をはじめ旅先などで見つけた野の花と語らい、寄り添ってスケッチを続けた様子がうかがえます。そうして生まれた作品は、華やかではなくともたくましく爽やかに咲く野の花々を愛したこの作家自身の姿をも映しているような、素朴な味わいを感じさせることでしょう。



深沢紅子の個人美術館は郷里盛岡と長年避暑に訪れた軽井沢にあり、いずれも「野の花美術館」と名付けられ、親しまれています。本展は、ご遺族ならびに軽井沢の深沢紅子野の花美術館のご協力のもと、晩年の水彩画を中心に展示し、吉祥寺にも縁あるこの作家をあらためて紹介するものです。「私はすべて野の花から教えられた」と語ったという深沢紅子。没後20年を迎えようとしている今日にあってなお、私たちが野の花やその姿を愛したこの作家から学ぶことは多いのではないでしょうか。


深沢紅子 略年譜

1903年(明治36)  岩手県盛岡市に生まれる。

1919年(大正8)  盛岡高等女学校を卒業。

東京女子美術学校(現・女子美術大学日本画科に入学。

1921年(大正10)  油絵科に転科。岡田三郎助に師事。

1923年(大正12)  同校卒業。同郷の画家・深沢省三と結婚。

1925年(大正14)  二科会展に初入選。

1937年(昭和12)  第一回一水会展に出品。

1947年(昭和22)  第一回女流画家展に出品。

1949年(昭和24)  一水会優賞受賞。

1952年(昭和27)  一水会委員となる。

戦後、盛岡短大・自由学園等で美術の指導にあたる。

1964年(昭和39)  この頃から約20年、旧軽井沢堀辰雄1412山荘にて夏を過ごす。

1993年(平成5)  3月25日、山中湖の山荘にて永眠。享年90歳。


やまのこどもたち (岩波の子どもの本)

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深沢紅子先生のけもない話 (野の花アートシリーズ)

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