Artscene 芸術の風景 -アートシーン 展覧会情報

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戦場体験史料館・電子版

元兵士の証言ネットに
毎日 8月15日




後藤重三郎さん 東京都杉並区 2012年8月13日


 67回目の終戦記念日を迎える15日、元兵士100人の証言を紹介する「戦場体験史料館・電子版」がインターネット上にオープンする。戦場の惨状を知る人が減る中、ありのままの言葉を次世代に伝えようとの試みに、元兵士らの賛同の輪が広がる。呼びかけ人の一人、東京都杉並区の元中学教諭、後藤重三郎さん(86)はこの夏、病床で体験を書き上げた。


 後藤さんは今年5月に脳梗塞を起こし、右目の視野が半分になった。「先は長くない。急がなければ」。ネットで公表する体験文をベッドサイドで妻美智子さん(79)に読み上げてもらい、リハビリや検査の合間を縫って口頭で修正を重ねた。言葉を選びながら、戦友や同級生の顔が浮かんだ。みな若く、はつらつとしていた。


 17歳で名古屋市の私立東邦商業学校(現在の東邦高)5年だった1943年、市内の旧制愛知一中が予科練(海軍飛行予科練習生)への一斉志願を決めたと報じられた。海軍は航空戦力の不足を解消するため各校に志願を求めていた。教師たちは「非常事態に進学を目指してどうする」「日本を救えるのは君たち若者しかいない」と熱弁をふるった。



 誰からともなく声が上がった。「進学校の一中ですら志願するなら、我々もやろうじゃないか」。クラス全員で志願を決め、動きは全校に広がる。名門の野球部は戦争で夏の甲子園が中止となったこともあり、多くの部員が志願した。



 だが、後藤さんは母に猛反対された。「みんなとの約束だ」と訴えたが、夫が病死し女手一つで一人息子を育ててきた母は「行けば死ぬに決まっている」と、志願に必要な印鑑を隠した。出発式。同窓生たちの勇ましい姿に負い目を感じ、遠くから見送った。



 後藤さんは45年1月、19歳で陸軍に徴兵される。氷点下30度の満州(現中国東北部)で過酷な訓練を受けた。「生きて帰れると思うな」と上官に殴られ、脱走して自殺する仲間もいた。戦後、郷里に戻ると実家は空襲で全焼していた。



 母校も焼け、予科練に入隊した同窓生たちの消息は分からない。戦況の悪化で、特攻隊に参加させられた者もいたと聞いた。終戦の10年後、日本アルプスを登山中、入隊した級友に偶然会った。「無事だったか」。懐かしくて声をかけたが、彼は顔をゆがめ、立ち去った。「志願しなかった者に不満を持っているんだ」。戦争が友の心に壁を築いていた。



 東京で中学の数学教諭になり、戦後生まれが増えたころから体験を話すようになった。夏休みも8月15日を登校日にして語った。教師の話を素直に聞く生徒たちの姿が、かつての分や友と重なる。「教職者の責任は大きい」と感じながら教壇に立ち続けた。



 インターネットを使うことは少ないが、市民団体がネット上に戦場体験史料館を開設すると知って賛同したのは、風化への強い危機感からだ。同年代の集まりでさえ、戦争のことは話題にならなくなってきた。



 毎年、終戦記念日は平和イベントに足を運んできたが、今年は病気で外出が難しくなり、自宅で黙とうをささげる。「若くして逝った仲間たちの無念を思うと、生き残ったことが申し訳ない。せめて歴史を繰り返さない努力をしなければならない」



 ◇2500人分を収集

 「戦場体験史料館・電子版」(http://www.jvvap.jp)は市民団体「戦場体験放映保存の会」(東京都北区)が運営する。同会は04年に主婦や会社員、学生らで発足。「思想・信条を問わず、戦地での体験を後世に残したい」と、全国の元兵士たちの証言をビデオや活字で記録し、これまで約2500人分を集めた。公開は100人分の証言からスタートし、順次増やしていくという。