Artscene 芸術の風景 -アートシーン 展覧会情報

芸術、美術、展覧会の紹介をしています。

浅草の映画館  中映劇場など5館が閉館

artscene2012-08-01

閉館の決定した浅草中映劇場
http://www.e-asakusa.net/chuei/


「映画館発祥の地」として知られる東京・浅草。日本で初めて映画の常設館ができた地である。今、営業しているのは5つある映画館のみとなっていたが、10月までに全てが順次、閉館することになった。

 
 浅草に明治36年に日本で初めて映画だけを楽しめる常設館が作られた。昭和20年代から30年代の日本映画の黄金時代には30館以上の映画館があったが、現在は「浅草中映劇場」(外国映画を2本立て)や「浅草名画座」(時代劇などを中心)など、5つの映画館のみが残っていた。


 しかし、建物は、建築からおよそ80年がたつなど老朽化が激しく、経営も厳しくなってきたことから、5つの映画館全てを2012年10月までに閉館することに決まった。

 
 映画館を経営するのは親会社「松竹」。再開発の計画は、現時点で具体的なことは決まっていない。

 



http://www.cinematoday.jp/movie/T0006377

建物の老朽化のため東京・浅草にある映画館5館が今年10月までに閉館することが明らかになった。浅草六区と呼ばれる同地域は明治時代に日本初の常設映画館ができた、いわば映画館発祥地だが、今回の閉館により同地域に映画館がなくなってしまうことになる。


映画『えんこえれじー 浅草哀歌』
http://www.cinematoday.jp/movie/T0006377


 現在まで営業を続けているのは、いずれも松竹の完全子会社である中映が運営する5館。成人映画を上映する「浅草シネマ」「浅草世界館」はそれぞれ9月17日と同25日に、邦画3本立ての「浅草名画座」「浅草新劇場」、そして洋画2本立ての「浅草中映劇場」は10月21日に閉館する。


 中映の担当者によると、建物の老朽化が閉館の最大の理由とのこと。「浅草新劇場」「浅草世界館」「浅草シネマ」の入っている浅草新劇会館は昭和2年に建てられ、今年築85年。「浅草名画座」「浅草中映劇場」の入っている浅草中劇会館は昭和8年に建てられ、今年築79年となっている。取り壊した後のことについてはまだ決まっていない。


 昭和20年代から30年代にかけては30館以上の映画館があったともいわれている浅草。その浅草から映画館の灯が消える日が来るとは誰も思っていなかったはず。映画ファンに愛されている地域ということもあり、中映では閉館に際して企画上映などを行うことも検討しているという。


浅草 映画の灯消える

2012年7月31日 朝刊

1955年正月の浅草六区のにぎわい

 

日本初の活動写真常設館「電気館」が一九〇三年に開館して映画館発祥の地となった東京・浅草(台東区)から、映画館が姿を消す。娯楽施設が集積した地域「浅草六区」の再開発計画で、現在残る映画館五館が今年十月までに閉館することが判明。入館する建物が解体されても、跡地に映画館はつくられない見通しだ。 

 五館は松竹の完全子会社「中映」が運営。成人映画を上映する「浅草世界館」と「浅草シネマ」は九月に、昭和の名作などを三本立てで上映する「浅草名画座」と「浅草新劇場」、洋画二本立ての「浅草中映劇場」の三館は十月に閉館するという。

 五館が入居するビルは、目抜き通り「六区ブロードウェイ」の北端の「浅草新劇会館」と「浅草中劇会館」。いずれも昭和初期に建設された。五館の座席数は計約一千席になる。

 浅草寺の西側に位置し、映画館などが集まっていた浅草六区。戦前は喜劇俳優エノケン」こと榎本健一らが一世を風靡(ふうび)、戦後は歌手で女優の笠置シヅ子らも活躍した。東宝など主要な映画会社の系列館や演芸場などが軒を連ね、街には人があふれた。

 しかし一九六四年の東京五輪を機にテレビの普及で映画館の廃業が相次ぎ、再活性化が課題となっていた。

 五館が入居する二つの会館と、その間にある雑居ビルを含めて再開発される。三つの建物の敷地は計約千五百平方メートル。年内に解体工事を始めて地上四階の建物を新築し、一階と二階にテナントが入り、三階と四階は劇場とする構想が持ち上がっている。

 六区では既に、商業施設「新ROX3(仮称)」の建設▽映画館などが入っていた旧「大勝館」のディスカウント店ドン・キホーテへの建て替え▽東宝系の会社「東京楽天地」によるホテルと一体化した商業施設の建設−が発表されている。

 地元町会の幹部らは「老朽化に加え、成人映画館は客層が限られ、再開発は歓迎だ。計画の進展を見守りたい」と話している。