特別展 出雲―聖地の至宝
特別展「出雲―聖地の至宝―」
本館 特別5・4室
2012年10月10日(水) 〜 2012年11月25日(日)
重要文化財 宇豆柱 鎌倉時代・宝治2年(1248) 出雲大社境内遺跡出土 島根県・出雲大社蔵
神話の国、出雲。荒神谷遺跡(こうじんだにいせき)、加茂岩倉遺跡(かもいわくらいせき)から、大量の青銅器群が発掘され、この地が古代の青銅器大国であったことが知られるようになりました。また2000年に出雲大社の境内から出土した宇豆柱(うづばしら)は、太い杉の丸太を3本束ねており、かつてそびえ建つ神殿が造られたことを物語っています。
現在、出雲大社では60年ぶりに本殿の修復や檜皮葺(ひわだぶき)の屋根の葺き替えが進められています。この事業は来年3月に完了し、5月には御祭神を仮殿から本殿に遷座する「平成の大遷宮」がおこなわれます。また、今年は出雲を舞台とした神話や出雲大社創建についても語られている『古事記』が編纂されて、ちょうど1300年の記念の年にあたります。
これを機に出雲大社の宝物をはじめ、島根県を代表する文化財の展示をとおして、独特の文化を形作った聖地、出雲を紹介いたします。
古事記とは
7世紀後半に天武天皇の命を受けて、稗田阿礼(ひえだのあれ)が誦習(しょうしゅう)していた言い伝えを太安万侶(おおのやすまろ)が筆録したものです。日本の歴史を叙述したものとしては現存最古であり、上・中・下の3巻で神話の時代から推古天皇までの神々と天皇家の系譜、伝承、和歌などが載せられています。上巻の神代の物語のうち、約3分の1は出雲が舞台で、八岐大蛇(やまたのおろち)退治や国譲りなどの神話が記されています。また、大国主神が高天原の神に国を譲る条件として造営を求めた宮殿が出雲大社の創始であると語られています。
会 期 2012年10月10日(水)〜11月25日(日)
会 場 東京国立博物館 本館特別5・4室(上野公園)
開館時間 9:30〜17:00(入館は閉館の30分前まで)
(ただし、会期中の金曜日は20:00まで開館。10月20日(土)は21時まで開館)
休館日 月曜日
観覧料金 一般800円(700円/700円)、大学生600円(500円/500円)、高校生400円(300円/300円)
中学生以下無料
* ( )内は前売り/20名以上の団体料金
* 障がい者とその介護者一名は無料です。入館の際に障がい者手帳などをご提示ください。
* 前売券は、東京国立博物館 正門特別展チケット売場(開館日のみ、閉館の30分前まで)のほか、主要なプレイガイドにて、2012年8月1日(水)〜10月8日(月・祝)まで販売。
* 会期中、特別展「中国 王朝の至宝」(2012年10月10日(水)〜12月24日(月・休)平成館)の観覧券で、1回に限り本展をご覧いただけます。
* 「東京・ミュージアムぐるっとパス」で、当日券一般800円を700円(100円割引)でお求めいただけます。正門特別展チケット売場(窓口)にてお申し出ください。
* 「友の会」「パスポート」のお客様で、特別展「出雲−聖地の至宝−」、特別展「中国 王朝の至宝」をご覧になる方へ
交 通
JR上野駅公園口・鶯谷駅より徒歩10分
東京メトロ銀座線・日比谷線上野駅、千代田線根津駅、京成電鉄京成上野駅より徒歩15分
主 催 東京国立博物館、島根県、島根県立古代出雲歴史博物館、NHK、NHKプロモーション、読売新聞社
特別協力 出雲大社、島根県神社庁
お問い合わせ 03-5777-8600 (ハローダイヤル)
展覧会ホームページ http://izumo2012.jp/
展覧会のみどころ
一章 出雲大社の歴史と宝物
出雲大社は、日本で最も古い由緒をもつ神社で、その創建は『古事記』や『出雲国風土記』に語られているように、神話の世界にまで遡(さかのぼ)ります。2000年に発掘された巨大な宇豆柱(うづばしら)や本殿の復元模型とともに、大社の宝物である秋野鹿蒔絵手箱(あきのしかまきえてばこ)や後醍醐天皇が大社に宛てた文書、出雲国造(いずもこくそう)の千家家(せんげけ)と北島家に伝わった記録や絵図などから出雲大社の歴史を展望します。
出雲大社
ダイコク様の愛称で知られている大国主神(おおくにぬしのかみ)を祀り、杵築大社(きづきのおおやしろ)とも称された出雲大社。大国主神の国譲りの代償として建てられた宮殿が、出雲大社の始まりといわれています。大社近くの真名井遺跡(まないいせき)出土の銅戈や勾玉からも、この地が弥生時代から聖地であると同時に他地域との交流の舞台であったことがうかがえます。平安時代には本殿の高さが48mで、日本一高い建物であったと伝えられていますが、現在の本殿は高さが24メートルで、江戸時代・延享元年(1744)の造営によるものです。旧暦10月には全国から神々が集まり、ここで縁結びの話し合いをするとされています。
国宝 秋野鹿蒔絵手箱(あきのしかまきえてばこ)
鎌倉時代・13世紀 島根県・出雲大社蔵
[展示期間:10月10日(水)〜11月4日(日)]
手箱は化粧道具や身のまわりの品々をおさめた箱で、神社の神宝として納められた例が知られています。蓋表に咲き乱れる萩と小鳥、萩の下の水辺に憩う3頭の親子の鹿を蒔絵や螺鈿(らでん)で描き、箱の側面にも萩や菊、桔梗、小鳥が表現されていて、秋の野に鹿という自然の風景を意匠とした名品です。
重要文化財 銅戈・硬玉勾玉(どうか・こうぎょくまがたま)
弥生時代・前2〜前1世紀 真名井遺跡出土 島根県・出雲大社蔵
寛文5年(1665)に出雲大社の東方約200メートルにある命主社(いのちぬしのやしろ)の背後の大石の下から出土したと伝えられる銅戈と勾玉。銅戈は北部九州から、ヒスイ製の勾玉は北陸地方からもたらされたと考えられており、この地が弥生時代から聖地であったことをうかがわせます。
金輪御造営差図(かなわごぞうえいさしず)
島根県・千家家蔵
[展示期間:10月10日(水)〜11月4日(日)]
出雲大社の宮司を務める千家家(せんげけ)に伝わった大社の本殿の平面図。大木3本を金輪で束ねて1つの柱としたものが田の字状に9本配置されています。境内で出土した巨大柱と共通する部分が多く、本殿復元をめぐる論争の鍵となっています。これまで江戸時代に写した図が知られていましたが、今年4月、千家家で秘蔵されていた古図が初公開されました。
平安時代の出雲大社の本殿の高さは16丈、約48mで、当時の奈良の大仏殿よりも高かったといわれています。これは10分の1の復元模型で、本殿は9本の高い柱で支えられており、長い階段がある正面中央の柱が宇豆柱です。
1998年から2002年にかけて出雲大社の本殿と拝殿の間で発掘調査がおこなわれ、この境内遺跡から柱の跡が3か所みつかりました。それぞれ3本の柱を束ねて1つの柱としている様子は、出雲大社本殿の平面図である「金輪御造営差図(かなわごぞうえいさしず)」に描かれた柱とそっくりで、この図のような本殿が存在したことが明らかとなって、一躍注目されるようになりました。3つの柱は本殿の中心となる心御柱(しんのみはしら)、正面中央の宇豆柱、南東側柱で、鎌倉時代の宝治2年(1248)の本殿跡の可能性が高いと考えられています。本展覧会では、この宇豆柱を東京で初めて公開します。会場では、平安時代の推定復元模型によって高くそびえていた本殿に思いをめぐらしていただきます。
重要文化財 宇豆柱(うづばしら)
鎌倉時代・宝治2年(1248) 出雲大社境内遺跡出土 島根県・出雲大社蔵
宇豆柱は、出雲大社本殿の棟を支えていた柱で、3本の杉の大木を束ねて1つの柱としていました。1本の長径が1.3メートル、高さ約1.3メートル、推定重量1.5トン。3本を束ねた直径は約3メートルになります。柱のまわりには大きな石がぎっしりとつめられていました。
二章 島根の至宝
荒神谷遺跡(こうじんだにいせき)と加茂岩倉遺跡(かもいわくらいせき)から出土した大量の青銅器は、弥生時代の社会のイメージを大きく変えることになりました。これらの遺跡から出土した国宝の青銅器79点と製作当初の光輝く様子がわかる復元模造品も展示します。また、7世紀に出雲で制作されたと考えられる鍔淵寺(がくえんじ)の観音菩薩立像(かんのんぼさつりゅうぞう)をはじめ、成相寺(じょうそうじ)、清水寺(きよみずでら)、赤穴八幡宮(あかなはちまんぐう)の神像や、戦国時代の出雲の大名尼子(あまご)氏が奉納したといわれる佐太神社(さだじんじゃ)の甲冑や須佐神社(すさじんじゃ)の太刀など島根の社寺に伝わった名宝を紹介します。
島根の青銅器
現在、島根県下では銅鐸(どうたく)56個、銅剣(どうけん)377本、銅矛(どうほこ)16本、銅戈(どうか)2本の存在が知られています。この驚くべき青銅器の数は、荒神谷遺跡ならびに加茂岩倉遺跡から発見された大量の青銅器が含まれているからですが、全国的に見てもその種類と数は、島根の特異性をよく示しているといえます。これらの中には地元産のものもあれば、近畿地方や北部九州で製作されたものも含まれています。それらがなぜこの地に運ばれ、埋納されたのか。そこには青銅器に託された当時の人びとの様々な祈りがあったに違いありません。しかし、その明確な答えはまだ得られていません。この謎解きは、日本古代史の実像に迫る意味でもきわめて重要な課題です。
国宝 荒神谷遺跡出土の青銅器
弥生時代・前2〜前1世紀 文化庁蔵
谷間の斜面から4列に整然と並べられた状態で発見された銅剣。その数はなんと358本。これは日本全国からの出土量をはるかに凌ぐものです。しかし、荒神谷に埋納された青銅器はそれだけではありませんでした。その奥、約7メートルの地点に銅鐸6個と銅矛16本が埋められていたのです。荒神谷遺跡の発掘は、大量の青銅器の埋納、さらに銅鐸と銅矛が一緒に発見された初めての例としても、これまでの古代史の常識を覆す大発見でした。
国宝 加茂岩倉遺跡出土の銅鐸
弥生時代・前2〜前1世紀 文化庁蔵
谷奥の斜面から工事中に偶然発見された39個もの銅鐸。1か所から発見された数としては最多のものです。これらの銅鐸は大・小2つのグループに分かれますが、それぞれが「入れ子」の状態で埋納されていたと考えられます。またこの銅鐸群には、シカやトンボなどの絵画をもつものや、同じ鋳型から作られた銅鐸が複数存在するという特徴がみられます。なぜこれほどの大量の青銅器が出雲の地に埋納されたのか。その謎はいまだ解けないままです。
重要文化財 色々糸威胴丸(いろいろいとおどしのどうまる)
室町時代・16世紀 島根県・佐太神社蔵
胴に兜(かぶと)、左右の袖を加えて、室町時代の武将が用いた典型的な形式の甲冑です。威糸に紅糸のほか縹(はなだ)・白の色糸を用いています。戦国時代に出雲を含む中国地方11か国に領土を拡大した尼子経久(あまごつねひさ)が奉納したものと伝えられています。
重要文化財 比売神坐像 (ひめがみざぞう)
鎌倉時代・嘉暦元年(1326) 島根県・赤穴八幡宮蔵
中国山地の山間、赤穴八幡宮に八幡神坐像とともに伝わった3躯の神像のうちの1躯。髪は頭上で束ねて両肩に垂らし、衣文を穏やかにあらわしています。八幡神坐像の銘文から嘉暦元年(1326)に山城国の仏師鏡覚によって作られ、出雲へもたらされたことがわかります。
島根県指定文化財 摩多羅神坐像 (またらじんざぞう)
鎌倉時代・嘉暦4年(1329) 島根県・清水寺蔵
唐風の冠をかぶって笑みを浮かべ、坐って右手で鼓を叩く姿の神像。摩多羅神は慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)が唐から帰朝の際の守護神として請来したといわれます。像内の墨書から、清水寺の常行堂の摩多羅大明神として奈良の覚清によって制作されたことがわかる貴重な神像彫刻です。