Artscene 芸術の風景 -アートシーン 展覧会情報

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渋谷区・戸栗美術館

artscene2011-12-09



http://www.toguri-museum.or.jp/home.html

戸栗美術館


東洋陶磁器を展示。



〒150-0046


東京都渋谷区松濤1丁目11-3

Tel 03-3465-0070


会期:2011年10月2日(日)- 12月23日(金祝)



 鎖国政策をとっていた江戸時代にありながら、世界の陶磁市場を席巻する輸出磁器として一時代を築いた伊万里焼。当時、東洋趣味とバロック芸術の流行するヨーロッパで、伊万里焼の大皿や壺、瓶は調度品として豪奢に貴族の邸宅を彩り、彼の地の人々を魅了し、マイセンやセーブルなど後のヨーロッパの窯業に大きな影響を与えました。今展示では、柿右衛門様式・古伊万里金襴手様式を中心に、カップ&ソーサーやティーポットから室内装飾用の大型磁器に至るまで、海外からの需要に応えて作り出された伊万里焼をご紹介します。約100点出展。



伊万里焼輸出の契機】


 15世紀後半以降、大航海時代の流れに乗ってヨーロッパ各国は東洋への進出を図り、布教活動や貿易を行ってきました。主な交易品は、香辛料や薬品、絹、陶磁器など。ヨーロッパにおいては未だ磁器を作り出すことができず、またバロックロココ芸術や東洋趣味が流行していたこの時代、大型の皿や壺など中国製磁器が王侯貴族の邸宅を彩る室内装飾として大変珍重されていました。


 一方、日本でも16世紀〜17世紀前半にかけては中国磁器の輸入が盛んな時期でした。これらの中国磁器は、朱印船貿易を行う日本の豪商や中国商人による取引のほか、ポルトガル船、のちにはオランダ・イギリス船によってももたらされていました。1635年に幕府が鎖国政策をとると、中国磁器の輸入はオランダ東インド会社が中心に引き受けるようになります。


 ところが、1644年中国では明から清への王朝交代があり、それにともなう動乱で中国が海禁政策を敷くと、ヨーロッパでも日本でも中国磁器の入手が困難になってしまいます。このことは、17世紀初頭に創成されていたものの技術的には未熟な段階にあった国産磁器・伊万里焼が、国内市場での需要に応えて飛躍的に発展する要因となりました。また、オランダ東インド会社が、中国磁器の代替品として伊万里焼に目をつけたことも、技術や生産量の向上を促しました。伊万里焼がヨーロッパ市場で受け入れられるだけの品質水準を獲得すると、本格的な輸出が始まります。オランダ東インド会社伊万里焼の大量注文を始めたのは万治2年(1659)のことでした。



【輸出のはじまり】


 伊万里焼の海外輸出は17世紀中ごろから、まずは中国船によってインドネシア方面に運ばれました。その中には創成されたばかりの初期の色絵磁器も含まれています。続いてオランダ東インド会社による日本磁器の輸出も慶安3年(1650)年から始まりますが、やはり当初はバタビア商館等で用いる什器や薬壺など東南アジア向けのものでした。1659年以降輸出が本格化すると、ヨーロッパをはじめとして、オランダ東インド会社の船が本国に帰るまでの経由地に向けた商品が作られています。


 その際のオランダ東インド会社からの注文には、白磁・染付・色絵のほか金銀彩の施されたうつわも含まれており、伊万里焼がすでに高い技術水準によって生産されていたことが分かります。輸出初期の具体的な作例としては、芙蓉手(ふようで)と呼ばれる中国磁器をうつした染付の皿や、赤色を多用した色絵磁器の瓶などが挙げられ、ヨーロッパに多く伝わっています。



柿右衛門様式 かきえもんようしき】


17世紀後半になると、伊万里焼はヨーロッパからの需要を糧に素地や成形、上絵などの技法が改良・洗練され、焼造技術も上がったことで、安定して高い品質が保たれるようになりました。“濁手(にごしで 乳白手とも表記)”と呼ばれる純白の素地(きじ)、型打ちによる精緻な成形、明るい赤色を主体に余白をたっぷりと残した瀟洒な絵付けを特徴とするこの頃の色絵磁器のことを「柿右衛門様式」と呼びます。


 東洋趣味の流行していたヨーロッパにおいて柿右衛門様式の伊万里焼は大変な人気を博し、輸出の黄金時代を迎えました。柿右衛門様式は輸出磁器として、ナイフを使うヨーロッパの食文化にあわせた平らな見込(みこみ)に鍔縁(つばぶち)をもつ皿や、紅茶用のポットやカップ&ソーサーなど、日本の文化では用いられない器皿が作られたほか、室内装飾用の壺や、人形・動物などの置物なども作られました。


 典型的な柿右衛門様式の作品は、有田郷の南川原山(なんがわらやま)で窯業を営んだ酒井田柿右衛門家が主導となって生産されたと考えられていますが、そのほかの有田諸窯でも構図や絵付けには共通の特徴をもつ、広い意味での柿右衛門様式の伊万里焼が生産され、輸出されました。


 同時期、国内用には繊細な描線や微妙なグラデーションを用いた染付磁器が中心に作られていましたが、これら国内用に生産された伊万里焼も長崎などで購買され、数多くヨーロッパに伝わっています。



【金襴手様式 きんらんでようしき】


 17世紀末になると江戸は好景気に沸き、冨を蓄えた町人を中心とした元禄文化が花開きます。伊万里焼も時代の潮流にのって染付素地に色絵を賦彩した「染錦手(そめにしきで)」や、さらに金彩を加えた豪奢な「金襴手様式」など絢爛豪華な製品が作られました。海外向けにも柿右衛門様式に代わる新しい主力製品として金襴手の作品が生産されました。


 1682年動乱が平定されたことを受けて中国の海外貿易が再開すると、長崎に来航する中国船の数が増え、貞享2年(1685)幕府は長崎貿易制限令を発布します。これによりオランダ連合東インド会社との公式貿易は減退し、貿易額を定額制とする私貿易が中心となりました。それまでの製品の体積に応じて関税を課す方法が廃止されたことから、私貿易では大型の瓶や壺などの輸出が増えました。これらは、バロックロココ時代のヨーロッパの好みと合致し、室内装飾用の調度品として用いられています。



 しかし18世紀前半には、中国磁器の輸出再開に加えて、ヨーロッパでもマイセンなどで磁器の製作が可能になったこと、そして日本では元禄バブルが崩壊してデフレ不況に陥るなどの要素が原因となって、伊万里焼の輸出は停滞し、オランダ連合東インド会社との公式貿易は1757年で幕を閉じます。




色絵 牡丹文 瓶 伊万里
江戸時代(17世紀中期) 高47.0cm
伊万里焼の輸出初期の作品であり、17世紀中期としては最大級の瓶。


色絵 双鶴文 輪花皿伊万里
伊万里柿右衛門様式)
江戸時代(17世紀後半) 口径22.5cm
柿右衛門様式完成期の典型作。裏の高台部分に孔があり、飾り皿としてヨーロッパでの愛好された様子を伝える。



色絵 婦人像 伊万里柿右衛門様式)
江戸時代(17世紀後半) 高39.2?
柿右衛門様式の代表的な婦人像。御所髷という髪形や、打ち掛けの熨斗文など、寛文頃の流行を取り入れた華やかな姿である。



染付 二果文 皿 伊万里
江戸時代(17世紀後半) 口径34.9cm
輸出用の大皿。見込中央と高台内にはオランダ東インド会社の略号であるVOCの組文字を配す。



 
色絵 菊花文 蓋付壺 伊万里
伊万里柿右衛門様式)
江戸時代(18世紀初) 通高47.2 cm
染付と赤の上絵、金彩のみによる加飾の壺。このような蓋付壺は、胴を絞った筒型の瓶とセットで輸出されたと考えられる。



色絵 花鳥文 皿 伊万里
江戸時代(17世紀末〜18世紀初)
口径54.5 cm
縁を大きく開いた輸出用の大皿。表面は、用いられている色数も多く装飾性が強いのに対し、裏面は簡単な梅枝文のみである。



●交   通 : 渋谷駅ハチ公口より歩15分

京王井の頭線 神泉駅北口より歩5分


●開館時間 : 午前10時〜 午後5時
(入館は午後4時半まで)



●休 館 日:  毎週月曜日
(ただし月祝の場合開館、翌日休館)
展示替え期間中


●入 館 料 :  一 般 1,000円 (800円)
高大生  700円 (500円)
小中生  400円 (200円)

  ※( ) 内は20名以上の団体料金、およびHP・携帯メールの割引券適用料金。



割引券印刷用 http://www.toguri-museum.or.jp/waribiki.html


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FAX:03-3467-9813