Artscene 芸術の風景 -アートシーン 展覧会情報

芸術、美術、展覧会の紹介をしています。

出光美術館

artscene2011-11-18

 能登国七尾(石川県七尾市)の地方絵師から、京の中央画壇の中心に達した長谷川等伯(1539〜1610)。没後400年を迎えた昨年、等伯の芸術の魅力がより広く紹介され、現在でも多くの人びとの関心を集め続けている。


 「国宝松林図屏風」展(2002年)や「新発見・長谷川等伯の美」展(2005年)など、等伯についての展覧会を意欲的に開催してきました。今回の展覧会では、等伯が強大なライバルとして意識する存在であった“狩野派”との関係を視野に入れ、また新しい角度から等伯の芸術をご紹介します。


 等伯が七尾から京へ移住したのは元亀2年(1571)、33歳の頃とみる説が有力ですが、その頃、信長や秀吉ら時の権力者の支持を得ていたのは狩野派でした。狩野派は始祖の正信(1434〜1530)が室町幕府の御用絵師となり、次代の元信(1477?〜1559)が堅固な流派体制を築いて以来、画壇の中心勢力となった一大画派です。等伯がようやく上洛を果たした頃、既に狩野派は若き永徳(1543〜90)を当主として、巨樹表現を特徴とする壮大な桃山絵画様式を打ち立て、画壇に君臨していました。狩野派と比べて、等伯率いる長谷川派は、規模の小さな新興画派といえます。しかし、画壇の覇者として揺るぎない組織力を誇った狩野派も、急速に実力をつけてくる長谷川派に対しては、やがて警戒心を持つようになります。


 互いを強く意識し合うようになる長谷川派と狩野派。本展覧会では、完成度の高い華麗な様式美をそなえる狩野派の絵画と、幅広い古典学習から自由で独創的な表現を試みた等伯とその一門の絵画を出光コレクションから厳選し、一堂に展示します。両画派の絵画様式の特徴や差異、また意外な親近性などにも目を向けていただき、狩野派全盛の時代、わずか一代で桃山画壇に確かな足跡を遺し、後世へ余波を与え続けた等伯芸術の魅力を、主に狩野派との関係からじっくりとご鑑賞いただきます。



 昨年、没後400年をむかえた長谷川等伯(はせがわとうはく 1539〜1610)。大規模な回顧展によって、その魅力が広く紹介されました。ライバル狩野派との関係を視野に入れ、実際に二つの画派のさまざまな作品を出光コレクションから厳選して同時展示することです。両派作品の比較や興味深いエピソードを紹介しながら、等伯絵画の魅力を解き明かします。




 秀吉や信長など、時の権力者の絶大な支持を得た狩野派は、桃山時代以降、全盛の時代を迎えます。狩野元信 1477?〜1559)が創った明快かつ端正な画風は、次世代以降にも守り伝えられ、狩野派特有の完成度の高い安定した様式美の基礎となりました。はじめのコーナーでは、伝狩野松栄(しょうえい)筆「花鳥図屏風」や、狩野長信(ながのぶ)筆「桜・桃・海棠図屏風」などを展示し、御用絵師ならではのすぐれた構成力を生かした、典雅な狩野派絵画の世界をご覧いただきます。



 等伯永遠のライバル 天下の御用絵師・狩野派の実力を知る

 
 狩野派は、画祖・正信(まさのぶ 1434〜1530)以来、時の権力者の御用絵師として隆盛し、時代の“正統”として盤石の組織力を誇りました。本展では、さまざまな狩野派絵師たちの作品が勢揃いします。堅固な構成力をいかした、明快かつ端正な画風は、流派として完成度の高い様式美を見せてくれます。等伯率いる長谷川派は、小さな新興勢力といえますが、一大画派ならではの狩野派の層の厚さもご覧いただきます。



 能登国七尾(石川県七尾市)から上洛し、中央画壇の実力絵師に上りつめた等伯。大組織の画派として伝統や統制を重んじる一大画派・狩野派とは異なり、長谷川等伯は自己の興味に従い、幅広い古典絵画を研究して、その知識に基づきながらも独創的な表現を試みた画家であったといえます。狩野派を意識しながらも、それとは異なる独自の絵画を描こうと研鑽を重ねました。このコーナーでは等伯筆「竹鶴図屏風」、「松に鴉・柳に白鷺図屏風」などの水墨画に加え、能阿弥筆「四季花鳥図屏風」、牧谿筆「平沙落雁図」など、等伯が学んだ日本・中国の画家の水墨画も展示し、等伯芸術のルーツや独創性を、狩野派との関係にも触れながらご紹介します。




 長谷川派と狩野派の確執 ―対屋事件
 
 
 公家の勧修寺晴豊(かじゅうじはれとよ)の日記(『晴豊公記』)にみえる長谷川派と狩野派の諍いはよく知られています。天正18年(1590)8月8日、狩野永徳(えいとく)が長男光信(みつのぶ)、弟宗秀(そうしゅう)を伴って晴豊邸を訪れ、御所対屋(ごしょたいのや 寝殿に付属する建物、夫人・女房などが住む)の障壁画制作を、「はせ川と申者(もうすもの)」に申しつけたのは迷惑であり断ってくれるようにと懇願しました。


 その後、晴豊は准后の九条兼孝に相談し、造営奉行の前田玄以に長谷川派の対屋障壁画の制作を取り消しさせました。御所の諸施設の障壁画制作を任されていた御用絵師・永徳一門にとって、新興の長谷川派の割り込み事件は予想だにしない出来事であり、長谷川派の台頭を如実に物語る事件といえます。後に狩野永納(えいのう 1631〜97)によって著された画人伝『本朝画史(ほんちょうがし)』には、等伯千利休と共に狩野派を譏った、などという風説まがいの事柄も記されており、この等伯と永徳の対屋事件を背景に、両画派は少なくとも友好的な関係にあったとはいえず、むしろ対立する関係にあったといえます。


 
 対立する関係にあった長谷川派と狩野派ですが、意外にも両画派の絵画表現には、親近する特徴を見いだすこともできます。当然等伯狩野派の絵画のことをよく知っていましたし、逆に狩野派にいたっては、特に等伯没後頃より、長谷川派が得意とする表現や画題に関心を示した様子を窺うことができます。このコーナーでは、長谷川派筆「波濤図屏風」と狩野常信(つねのぶ)筆「波濤図屏風」、また長谷川派筆「藤棚図屏風」と狩野重信(しげのぶ)筆「麦・芥子図屏風」などを比較展示し、互いを強く意識するが故に、相手の表現を盗み学び、独自の表現へ高めようとした、従来あまり触れられていない両画派の親近性に注目します。



 等伯の傑作・国宝「松林図屏風」(東京国立博物館蔵)は、漢画のみの学習では得られない、日本の繊細な情趣を湛えた日本的な水墨画として高い評価を得ています。等伯は情趣豊かな“やまと絵”にも積極的に学んでいると考えられます。ここでは、やまと絵の作例「宇治橋柴舟図屏風」や、長谷川派筆「柳橋水車図屏風」を展示し、等伯がやまと絵についても深い関心を示していたことなどをご紹介します。




開館時間

午前10時-17時 (入館は午後4時30分まで)
毎週金曜日 19時まで (入館は18時30分まで)


休館日
毎週月曜日


http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkan/exhibition/present/pdf/list.pdf


列品解説のおしらせ

11月10日(木)、11月24日(木)、12月8日(木) いずれも午前10時30分より
11月11日(金)、11月25日(金)、12月9日(金) いずれも午後6時より


花鳥図屏風 伝狩野松栄 桃山時代 出光美術館

花鳥図屏風(右隻) 「元信」印 室町〜桃山時代 出光美術館

松に鴉・柳に白鷺図屏風(右隻) 長谷川等伯 桃山時代 出光美術館

波濤図屏風(右隻) 長谷川派 江戸時代 出光美術館

など


柳橋水車図屏風(右隻) 長谷川派 江戸時代 出光美術館





入館料


一般1,000円/高・大生700円(団体20名以上 各200円引)


中学生以下無料(ただし保護者の同伴が必要です)


障害者手帳をお持ちの方は200円引、その介護者1名は無料です



〒100-0005
東京都千代田区丸の内3-1-1 帝劇ビル9階
(出光専用エレベーター9階)

ハローダイヤル03-5777-8600(展覧会案内)


JR「有楽町」駅 国際フォーラム口より徒歩5分
東京メトロ日比谷線・千代田線/都営三田線「日比谷」駅
東京メトロ有楽町線「有楽町」駅 帝劇方面出口より徒歩5分