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直木三十五  旧宅が取り壊し

artscene2011-06-26

神奈川県横浜市金沢区

 抽選で選ばれ、旧宅を見学する人たち
 26日午後 横浜市金沢区

 日本を代表する文学賞直木賞の由来となった作家直木三十五(1891-1934)が晩年に建てた横浜市金沢区の旧宅が6月末に取り壊されることになり、同区役所は26日、最後に外観をファンらに公開した。所有者の同市港南区、会社社長橋本祐二さん(70)によると、直木氏が43歳で病死する前年に自ら設計して建てたものである。


 天井が高く、当時としては珍しい円い一枚ガラスをはめ込んだ窓や水洗トイレを備えていた。玄関を造らず、小さな通用口から出入りするなどユニークな造りで、友人で直木賞創設者の作家菊池寛氏は「不便な所が多くて滑稽だよ」と漏らしていたという。


 直木氏が住んだのは1カ月にも満たなかったとされ、死後に橋本さんの父親が購入、使っていたが、老朽化で2004年から空き家に。地代などに月百数十万円かかるため、市に寄贈を申し出たが「増改築されて歴史的価値が低い」と断られ、解体を決めた。7年近くにわたり空き家状態で、老朽化が進んだため。時を経てたたずまいは古びたが、造作のそこここに直木のこだわりが見て取れる。



 地元でボランティアガイドをしている井上一夫さん(72)は「この辺りは伊藤博文ら多くの著名人が別荘を建てた所。その一つが失われるのは残念」と話し、熱心にシャッターを切っていた。



 直木は大阪の生まれで、雑誌編集や映画の脚本、監督も手がけた。小説の代表作は、幕末の薩摩藩のお家騒動を描いた「南国太平記」。34年2月、43歳の若さでこの世を去り、その翌35年に友人の菊池寛によって直木賞が設けられた。命日のころには毎年、墓のある同区の長昌寺で追悼祭「南国忌」が催される。

 旧宅は木造平屋で、死の直前の33年末に完成した。その設計には、直木自身も深くかかわったといわれる。例えば、円形に切られた和室の障子窓や、木製の飾り格子。書斎や縁側の窓には、当時貴重だったドイツ製の一枚ガラスをはめ込んだ。水洗トイレも完備され、井戸水をポンプでくみ上げるために、わざわざ電線まで敷設したという。



 家は現在、同市港南区の会社役員、橋本祐二さん(70)が所有する。41年に父親が購入し、その後増築されて2階建てに。中学生のころ、ここに起居した橋本さんは「天井が高く開放的で、夏は涼しかった。でも冬は寒かった…」と懐かしむ。窓からは寺のかやぶき屋根と、埋め立て前の穏やかな海が見渡せたそうだ。


 今は住む人もなく、雨漏りもする。引き取り手を探したが見つからず、橋本さんはやむなく解体を決めた。市は家を採寸し、図面の形で後世に伝えていくという。